「彼の唯一の兄、すなわち私の叔父」と書けば、前後は同じ人物を別の関係から指します。英語なら namely や that is が候補になります。しかし「規則を破った。すなわち失格である」では、同一人物の言い換えではなく、規則から制度上の結論を導く。therefore に近づく場合もあるでしょう——一つの訳語へ固定できないのは、日本語側が同定、説明、要約、帰結という近接した関係を担うからです。翻訳では、前後を等号で結べるか試すと出発点になります。完全な同値なら that is、具体例の提示なら namely、推論なら therefore と分けられる。ただし自然言語の同値は数学ほど厳密でなく、後件が前件の一面だけを言い直すこともあります。
英語の in other words は、表現を理解しやすく置き換える姿勢を前へ出します。日本語の「すなわち」には、必ずしも平易化せず、むしろ定義を厳格にする用法があります。「哺乳類、すなわち子を乳で育てる動物」のような説明と、「本契約にいう利用者、すなわち登録を完了した者」のような限定では、訳文の文体も変える必要があります。i.e. は書面で簡潔ですが、会話へそのまま読めば不自然です。同じ論理関係でも、論文、契約、授業、友人同士の会話では自然な標識が違います。対照言語学が比べるのは語義だけでなく、どの媒体でその関係を明示する習慣があるかです。
日本語では、主語や述語を省いて「問題は一つ。すなわち、時間だ」と短く焦点を置けます。英語では the problem is time のように節を補うほうが滑らかな場合がある。接続詞だけを置換すると、訳文に断片が残るか、逆に原文の切れ味が消えます。翻訳単位は一語でなく、前後二文の情報構造です。後件が名称なのか命題なのかを見て、必要な統語を組み直します。字幕では that is を省き、画面の対象と名詞を直接結ぶこともできます。省略しても参照関係が明白なら情報は残りますが、話者が「ここで定義する」と構えた調子は薄れる。論理標識には内容と姿勢の二層があります。
漢字では「即ち」と書けますが、現代の一般文では仮名がなじみやすい。漢字の「即」には、つく、ただちに、といった意味の歴史があり、古い用法には時間的な近接も見えます。しかし現代文の翻訳で毎回 immediately とすることはできません。語の歴史的な部品と、現在の接続機能を分けて扱う必要があります。古典や漢文訓読調では、現代より広い関係を文脈から読む場合があります。時代の異なる文献を訳すなら、現代語の典型だけを原文へ投影しないことが重要です。同じ表記でも、継起、同定、強調の重みが変わりうるからです。
創作でこの語を使うと、語り手は前後の関係を明晰に把握しているように聞こえます。実際には誤った同定でも、形式が整っているため説得力を帯びる。「敵は沈黙した。すなわち降伏した」と断定して敗北する人物なら、等号を急いだ思考が欠点になります。別言語の候補を並べると、彼が言い換えたのか、定義したのか、推論したのかを診断できます。翻訳不能なのではなく、原文が一語に畳んだ関係を、訳文では一度展開して選び直す必要がある。等号の種類を見分ける作業が、この接続詞の知性と危うさを同時に見せます。