たとえば

【たとえば】接続詞

使い分けの視点

「たとえば」は抽象を一つの場面へ降ろしますが、一例だけで一般論を証明することはできません。存在を示すなら一件で十分でも、傾向を語るなら典型性への信頼が要ります。例を選ぶ人物の職業や関心も同時に表れるため、料理、星、盤面など同じ比喩へ寄せず、誰が誰に説明しているかまで設計してください。

同義語

同品詞の類義語

例を挙げれば文芸的
一例として
実例を挙げると
具体例で言うとcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

事例を挙げれば文芸的
ひとつ挙げるなら
わかりやすく言うとcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ひとつには文芸的
仮に挙げるなら文芸的
言ってみれば
そう、あのcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

証人エッセイ関連

例文: 証人を一つ示せば存在は証明できる。学者は雪原に残る一頭ぶんの足跡を測った。

典型エッセイ関連

例文: 典型として出された優等生は、答案の裏にだけ十二通りの間違い方を残していた。

一羽の白いカラス、あるいは例の弱さについて

「すべてのカラスは黒い」という主張は、黒いカラスを何万羽数えても証明できません。ところが白いカラスが一羽見つかれば、その場で崩れます。例というものには、この強烈な非対称性があります。否定の側では一つで絶対、肯定の側では何万集めても不足。「たとえば」という接続詞は、この非対称の弱いほう——肯定の側——に立って働く語です。

もっとも、論理学には例が全能になる場面が一つだけあります。「〜が存在する」という主張です。存在の主張は、実物を一つ示せば証明が完了する。示された実物は、その存在文の証人と呼ばれます。「一語で理由と甘えを同時に運ぶ接続詞が日本語にはある。たとえば——」という文は、存在主張と証人の提示であり、論理としては完結しています。厄介なのは、書き手が示したいものが存在ではなく一般論である場合です。「この作家の文章は息が長い。たとえばこの一文は二百字を超える」。例は一般論を証明しません。それでも読者は、たいてい納得してしまいます。

語の形そのものにも、この頼りなさの痕跡が残っています。この接続詞は、動詞「たとふ」に接続助詞「ば」が付いた形に由来すると説明されます。古い日本語で動詞の未然形に「ば」を添えれば、それは仮定の条件節です。本来の姿は「もし譬えるならば」であり、条件文の前件にあたる部分だけが独立して、例示の標識として使われるようになったことになる。後件は言われないまま省かれています。前件だけを置き、後件の判断は読み手に委ねる。例を挙げるという行為が、論証ではなく仮定の身振りから始まっていることを、語形そのものが記録しているわけです。証明の言葉ではなく、誘いの言葉として出発した語だと言ってもいい。仮定の形で始まった標識が、いつのまにか根拠の顔をして文章に居座っている。

この隙間を埋めているのは、論理ではなく暗黙の協定です。読み手は、挙げられた例が典型であること、つまり分布の端から恣意的に拾った標本ではないことを、書き手との無言の契約として受け入れている。だから、証明の規則には何ひとつ違反していなくても、極端な例を典型のような顔で置けば、読者は騙された感触だけを正確に受け取ります。統計の世界でつまみ食い的な例示が嫌われるのも、計算の誤りだからではなく、この契約への違反だからです。例示の説得力は論理の産物ではなく、信頼の産物なのです。さらに言えば、どんな例を選ぶかには、書き手が読者をどんな人間だと想定しているかが露出します。将棋の例を選ぶか、料理の例を選ぶか。例示は読者像の申告でもあります。

同じ語が二つの別の操作を導いていることにも、注意しておく値打ちがあります。「たとえば猫がいる」と言えば、動物という集合から要素を一つ取り出す操作です。「たとえば猫のように身軽だ」と言えば、猫という別の領域から身軽さという構造だけを借りてくる操作になる。前者は選び出すこと、後者は写し取ることで、論理的にはまったく違う手続きです。それでも日本語は、どちらにも同じ動詞から出た同じ語をあてがっている。譬えるという一つの動詞が、要素の提示と領域間の対応づけを兼ねているわけです。実務上の注意もそこから出てきます。例のつもりで書いた一行が比喩として読まれると、読者は集合の内側ではなく外側を探しはじめる。どちらに読まれるかは、この語のあとに置く名詞が話題と同じ領域にあるかどうかで、ほぼ決まります。

例をいくら重ねても一般論には届かない、という問題は、十八世紀にヒュームが帰納の問題として定式化して以来、哲学の宿題であり続けています。ところが小説は、この宿題の外側で商売をしている稀有な形式です。小説には一般論を証明する義務がない。あるのは一人の人物と一つの場面、つまり例だけであり、そこでは一般論のほうが例に負けます。読者が作品から何か普遍的なものを受け取るとしても、それは論証されたからではなく、証人を目撃したからです。

会話文に目を移すと、この語を多用する人物は、抽象を具体に降ろす習慣の持ち主として読まれます。逆に「たとえば?」と問い返す人物は、相手の一般論を検証台に載せようとしている。曖昧な脅し文句に対するこの問い返しが場を制圧するのは、例の提出を求めることが、相手の言葉を反証可能な形に引きずり出す行為だからです。例を挙げさせれば、白いカラス、すなわち反例を探す土俵に、相手を立たせることができる。

文: hakadoru.ai 編集部

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