料理人が生地を折って見せながら「こうして重ねます」と言うとき、指先の動きとことばの意味はほとんど重なっています。ところが物語の末尾にある「こうして王国に平和が戻った」では、目の前に手本となる動作はありません。そこにあるのは、それまで数ページにわたって語られた争い、選択、偶然の総体です。同じ四文字が、一回の身振りも長い因果の鎖も指せる。この伸縮性が「こうして」の意味論的な核心です。
「こ」は話し手に近い領域を示す指示語の系列に属し、「して」は動作や状態の連なりを作ります。ただし近さは、机上の物のような物理距離だけではありません。いま説明した内容、語り手が掌握している手順、読者と共有したばかりの場面も、談話の上では「こちら側」に置ける。だから「こうして」は「このような仕方で」と方法を指す一方、「以上の経緯によって」と結果を導くこともできます。指す対象が一つの動作か、先行する文章全体かで、語の射程が変わるのです。
この二義は、文だけを切り出すと解けないことがあります。「彼はこうして窓を開けた」が、実演された開け方をいうのか、苦労の末に開けることができたという結末なのかは、前後を見なければ決まりません。意味は語の内部に完成品として収納されているのではなく、指示対象との組合せで具体化する。同じ文字列がカメラの寄りと引きを切り替えるように、一挙動から一連の事件まで焦点距離を変えます。
似た接続表現と並べると輪郭が見えます。「そうして」は、すでに相手側や物語内に置かれた出来事を受け、次の動作へ鎖を延ばしやすい。「かくして」は語り手が一段高い位置から経緯を総括する文語的な響きを帯びます。「こうして」はその中間で、過去の出来事を読者の眼前へいったん集め、結果を指差す。出来事を点、因果関係を矢印とするグラフで考えるなら、多数の点と矢印を一つの箱に畳み、その箱から結末へ太い矢印を一本だけ引く操作に近いでしょう。この箱は要約として再利用できるので、長い時間経過を越える場面転換にも向きます。
便利な圧縮には、情報の損失もあります。「鍵を盗み、警備員を眠らせ、裏口を開けた。こうして彼は侵入した」と書けば、三つの行為が侵入を可能にしたことは伝わる。しかし、どれが必要条件で、どれが単なる補助だったかまでは示しません。数学的な証明の「したがって」ほど強い論理保証はなく、時間的な継起が因果らしく包まれる場合もある。語り手が誤った因果を信じている一人称小説なら、この曖昧さは欠点ではなく、認識の偏りを示す仕掛けになります。
章末の一文に置けば、散らばった出来事を束ねる留め金になる。場面冒頭に置けば、直前の章を要約しながら時間を跳ばせる。反対に、緊迫した最中で何度も使えば、複雑な選択が予定調和の手順に見えてしまいます。大切なのは、この語が出来事を説明するのではなく、すでに説明されたものとして扱う点です。「こうして」と書いた瞬間、語り手は指先を上げ、ここまでの混乱には一つの形があったと宣言する。その宣言を信じるか疑うかまで含めて、物語の意味は組み上がります。