かえって

【かえって】接続詞

使い分けの視点

かえっては、行為から期待された結果と逆のことが起きた、というねじれを一語で背負う副詞です。前提として読者の側に期待の矢印が立っていなければ空転するので、ねじれの前に「こうなるはずだった」を仕込んでおきます。「むしろ」が二つの選択肢を天秤にかける判定の言葉なのに対し、こちらは起きてしまった事実の報告に張り付きます。語り手が先回りして説明する語でもあるので、驚きを残したい場面では出来事の並びだけに任せる手もあります。

同義語

同品詞の類義語

むしろ
逆に
あべこべにcolloquial
反対に

類義句

同品詞の慣用的言い換え

それどころか
皮肉にも文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ひるがえって文芸的
あろうことか文芸的
なんとcolloquial

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

ねじれエッセイ関連

例文: ねじれはいつも、善意のあとからやって来た。

申し訳ないエッセイ関連

例文: これではかえって申し訳ない、と彼女は返礼の半分だけを受け取った。

一語にならない逆転——「かえって」を英語に運ぼうとして

「薬を飲んだら、かえって熱が上がった」。この一文を英語に移そうとすると、手が止まります。instead は「予定を変えて別のことをした」であって、結果の逆転ではありません。on the contrary は相手の発言を打ち消すときの談話の標識で、地の文の因果関係には収まりが悪いところがあります。近いのは actually や、only to を使った書き換え、あるいは if anything あたりですが、どれも一語でこの副詞を引き受けてはくれません。訳語が一対一で見つからないとき、そこにはたいてい、言語ごとの世界の切り分け方の違いが埋まっています。

「かえって」の意味の核は、結果の逆転です。ある行為から当然期待される結果があり、現実にはその逆が起きた——期待と現実のねじれを、この一語が背負います。動詞「返る」の連用形に「て」が付いた形が副詞に転じたとされ、語源の水準ですでに「向きが反対になる」イメージを含んでいます。大事なのは、この語が期待の存在を前提として要求することです。「散歩したら、かえって疲れた」とは言えますが、疲れて当然の重労働について同じ言い方はできません。読者の頭の中に期待の矢印が立っていないと、この語は空転します。

隣の語との棲み分けも、翻訳を考えると輪郭が出ます。「むしろ」は二つの選択肢や評価を天秤にかけ、話し手がどちらを取るかを示す語で、いわば判定の言葉です。対してこちらは、起きてしまった事実の報告に張り付きます。世界の側のねじれを写す語と、話し手の側の裁定を示す語——役割がきれいに分かれています。視野を広げると、中国語には「反而」という接続副詞があり、期待に反する結果を導くという点でかなり近い働きをします。この状況を専用の一語で標識する言語と、文脈や構文の書き換えで処理する言語があります。分節の細かさは、言語ごとにまだらなのです。

守備範囲は、物理的な因果の文の中だけではありません。世話になった相手から重すぎる返礼を受け取ったとき、人は「これではかえって申し訳ない」と言います。好意を受け取ったはずなのに、貸し借りの帳簿の上では負債が増えてしまった——逆転が、人間関係の収支の上で起きています。この用法を英語に移すなら、now I feel worse のように気持ちの側を言い換えて訳すほかなく、逆転そのものの標識は訳文から消えます。社交の場面のほうが、翻訳の目減りはむしろ大きいのです。

物語にとって、期待の逆転は燃料です。助けようとして傷つける、隠そうとして露見する。筋の駆動部には、たいていこの構造が埋まっています。ただし地の文で「かえって」と書くことは、そのねじれを語り手が先回りして説明することでもあります。一語で告げれば経済的だが、驚きは目減りする。ねじれを語で標識するのか、出来事の並びだけで読者に発見させるのか——その判断は、一語の選択に見えて、実のところ語りの速度の選択です。

文: hakadoru.ai 編集部

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