あのー

【あのー】感動詞

使い分けの視点

あのーは、人物の逡巡を一拍で背負う言いよどみです。小説の会話文では、現実の発話よりフィラーの出現がずっと少なく抑えられており、一箇所の言いよどみがその場の口調全体を代表する圧縮表現として働きます。混ぜる率は、その人物がどれだけ言葉を選ぶかを映し、表記の選択も道具になります。長音符は間延びした逡巡、三点リーダーは言葉を探す沈黙、仮名の「う」はやや古風で丁寧な息づかいを添えます。

同義語

同品詞の類義語

えーとcolloquial
ちょっとcolloquial
なあcolloquial
もし文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

失礼ですが
つかぬことを伺いますが文芸的
恐れ入りますが文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

言いにくいのですが
ええ
おそれながら文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

あのうエッセイ関連

例文: あのう、帰り道がわからなくなりました。少女が夜警の自動機械に言うと、機械はまず「迷子」という言葉を辞書から探した。

あの……エッセイ関連

例文: あの……、この文庫の続きの巻は、まだ入っていませんか。読み手がカウンターで尋ねると、店員は入荷帳をめくりながら困った顔をした。

書き起こすと見えてくる——言いよどみの計量文体論

実際の会話を録音して一字一句忠実に文字へ起こすと、たいていの人は自分の話し方に驚きます。言いよどみ、繰り返し、途中で捨てられた文——なめらかに話していたつもりの発話は、フィラーと呼ばれる埋め草だらけです。日本語の話し言葉を集めたコーパスの分析でも、「えーと」やこの語を含むフィラー類はきわめて高頻度の語群に入ることが知られています。話すという行為の統計的な実態は、話している本人の自己像から大きくずれている。

ところが小説の会話文を同じ目で数えると、フィラーの出現率は現実の発話より桁違いに低くなります。これは欠陥ではなく様式です。実際の会話を忠実に転写した台詞は、読むに堪えない。書き言葉の対話は、現実の発話の統計的性質を再現するのではなく、少量の記号で話し言葉らしさを喚起する圧縮表現なのです。落語家が扇子一本で蕎麦を食べてみせるのに似て、一箇所の言いよどみが、その場の口調の全体を代表します。

数える対象としてのフィラーには、機能の裏付けがあります。会話の分析では、この種の語は発話の順番を保持する信号と見なされます。沈黙は発話権を手放す合図に解釈されやすいのに対し、埋め草で音をつないでいる限り、まだ話し終えていないという表示になる。つまりフィラーの頻度は、その人がどれだけ考えながら話すか、どれだけ言葉を選んでいるかを映す変数です。台詞に混ぜる率を決めることは、その人物の会話への構えを決めることでもあります。感覚的には、改まった演説の場では別の埋め草が選ばれ、この形は対面の対話に寄る、という場面ごとの分布の偏りもあるように思われます。頻度だけでなく、どの場面で出るかまで含めて、フィラーは人物の社会的な位置を映す変数なのです。

計量文体論という分野は、文章の個性を数で捉えようとしてきました。よく知られた成果に、十八世紀アメリカの『ザ・フェデラリスト』論文集の著者推定があります。決め手になったのは内容語ではなく、前置詞や接続詞のような機能語の使用率でした。何を書くかは題材で決まるが、機能語の癖は本人にも制御しきれない指紋として残る。この発想を台詞に移すなら、フィラーはいわば会話の機能語です。登場人物ごとに使用率へ差をつければ、話す内容を一切変えなくても声が分離する。ひとりだけ言いよどみの多い人物は、性格の説明を一行も書かずに造形できます。

数えようとすると、表記の揺れが立ちはだかることも書き添えておくべきでしょう。同じ声が「あのー」「あのう」「あの……」と書き分けられ、長音符の本数まで含めれば形は際限なく増える。コーパス研究が最初に行うのは、この揺れをひとつの見出しに束ねる正規化の作業です。逆に小説の側から見れば、揺れは資源になる。長音符は間延びした逡巡、三点リーダーは言葉を探す沈黙、仮名の「う」はやや古風で丁寧な息づかい——どの表記を選ぶかで、同じ一語の持続と質感が変わります。数える者には雑音であるものが、書く者には道具になる。

技術の側でも、この語は数える者を悩ませてきました。音声の自動書き起こしの多くは、フィラーを検出して省く整形機能を備えています。議事録はそれで読みやすくなりますが、会話の研究者にとっては、消されては困る一級の資料が黙って捨てられていることになる。同じ音声から何を残して何を落とすかは、数える目的が決めるのであって、数そのものが中立に存在するわけではありません。数えるという行為の設計性を、埋め草ほどよく教えてくれる語は少ないでしょう。

長音符の本数は、モーラという単位の増減でもあります。一本増えれば一拍延び、行のテンポはそのぶん落ちる。一行の台詞に占めるフィラーの文字数の割合は、読者にはその人物の発話速度と逡巡の量として体感されます。ゼロなら不自然に流暢な人物になり、高すぎれば読みにくさが勝つ。どの水準に設定するかは、感覚の問題であると同時に、比率という一個の数値パラメータの設計でもあります。数えられるものは、設計できる。書き起こしの中の埋め草は、そのことを教えてくれます。

文: hakadoru.ai 編集部

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