やや

【やや】副詞

使い分けの視点

「わずかに」「ほんの幾分」は小幅を明示し、「多少」「いくぶん」は測定や比較の幅を残します。「いささか」「幾許か」は古風または文章的です。「心持ち」「心なしか」「気持ち」は主観的で、実際の差への確信が弱まります。「ほのかに」は光・香り・感情が淡く知覚される様子に向きます。

同義語

同品詞の類義語

わずかに文芸的
いくぶん
多少
いささか文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

幾許か文芸的
心持ち文芸的
心なしか文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

気持ちcolloquial
ほんの幾分
ほのかに文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

観察者を半歩下げるエッセイ関連

例文: 気温の変化を小幅な副詞で記し、観察者を半歩下げる文体で感情を抑えた。

「ややもすれば」に残った化石——縮んだ副詞の使い道

「ややもすれば」という言い回しは、今も文章の中で生きています。ところが、この頭に埋まっている二拍を取り出して意味を問うと、答えに困ります。少しばかりそうなりがち、と言い換えても、その「少し」は訳文のどこにも見当たりません。全体が傾向を表す一つの塊として固まっていて、部品はもう部品として働いていないのです。化石という言い方がちょうど合う状態でしょう。

古い用例まで遡ると、この副詞はもっと広い範囲を担っていたとされます。程度だけでなく時間の経過にも及び、しばらく、しだいに、といった意味で使われた例が知られています。当てられた漢字にも、ようやく、しだいに、という訓が付いていました。時間と程度の両方を測れる目盛りだったものが、いつからか程度の側だけを残したことになります。意味の縮小の、教科書のような経過に見えます。ここで一度引っかかっておきたいところもあります。赤ん坊を指す古い言い方にも、同じ形が入っています。連想としては魅力的で、幼さと「わずか」を結びつける説明を作りたくなります。けれども別語とする見方もあり、同じ音の並びだからといって一つに束ねるのは危ういでしょう。並べたい誘惑が強い組み合わせほど、証拠の弱さが見えにくくなります——ここは保留のまま置きます。

もっとも、時間の用法が完全に消えたと書くのは正確ではありません。化石はもう一つ残っています。「ややあって」という言い方です。しばらくして、少し間を置いて、という意味で、いまも小説の地の文で使われます。ここに埋まっている二拍は、程度ではなく時間を測っている。古い用法は絶えたのではなく、決まった形の内側でだけ現役のまま残っているわけです。単独で立てば時間を指せないのに、この一語と組めば指せる。語の意味が縮むというのは、辞書の記述が一行減ることではなく、使える場所が限られていくことなのだと分かります。縮んだ語は、慣用の枠という保護区の中でだけ、昔の面積を保ち続けます。しかも保護区の中身は、話者にはほとんど意識されません。この言い方を使う人が、そこで測っているのが時間だと自覚している場面は少ないでしょう。塊のまま覚え、塊のまま出す。その無自覚さこそが、古い意味の残る条件でもあります。

そもそも程度を表す副詞は、語彙のなかでも入れ替わりの激しい層です。強調のために選ばれた語は使い減りして効き目を失い、別の語がその位置に呼ばれます。「とても」がかつては打消しと呼応する形で使われ、後に肯定の強調へ移ったことはよく知られています。摩耗し、意味を移し、あるいは消える。その入れ替わりの中で、この二拍は強調の側へ行かず、量を絞る側に残りました。強く言うための語は次々に更新されるのに、控えめに言うための語のほうは案外そのまま生き延びるようです。

なぜ控えめな語は摩耗しにくいのか。理屈をつけるなら、天井と床の違いが効いているように思われます。強く言うための語は、使われるたびに驚きを失い、話し手はもっと強い語を探しにいく。上には限りがないので、更新は際限なく続きます。ところが量を絞る側には床があります。ゼロより小さくは言えない以上、絞り込みの競争は早い段階で行き止まりになる。競争が起きなければ、語は更新されないまま居座ることができます。この副詞が長く形を保ってきたのも、これより控えめな言い方を誰も必要としなかったからでしょう。摩耗するのは、力を込めて使われた語のほうです。控えめな語は、力を込めずに使われるがゆえに、擦り減る機会そのものが少ない。

縮んだ結果として、現代のこの語には独特の位置が生まれました。「少し」より硬く、「いささか」ほど古びず、「多少」より測定の匂いがします。気温がやや高い、風がやや強い、傾向がやや強まる、といった具合です。話者の感情が入りにくいので、報道文や計測の記述と相性がよいのでしょう。目盛りのどこかを指すというより、目盛りが動いたことだけを認めて、その幅の判断は読み手に預ける言い方になっています。範囲を狭めたぶん、狙いは正確になりました。

そうすると、地の文に置いたときの効き方もはっきりしてきます。この語が一つ入るだけで、語り手は対象から半歩下がって観察している気配になります。人物の内側に密着した文章では、その半歩が異物になることがあります。動揺している人物の視界に「やや」は現れません。逆に、感情を抑えた記述で人物を外から測っていく場面なら、この距離感がそのまま文体の温度になります。縮んだ語は、狭い場所でだけ正確に効く。

文: hakadoru.ai 編集部

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