【やみ】名詞

使い分けの視点

「闇」は暗さの属性でなく、人や物が入り、紛れ、出てこられなくなる領域を名指します。「暗がり」は明所と対照になる一角、「暗黒」は光の欠如、「漆黒」は色の深さが中心です。境界、侵入者、隠されたものを定めると、物理的な夜から制度外の取引まで具体的な地形になります。

同義語

同品詞の類義語

暗黒文芸的
漆黒文芸的
暗がり
文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

光の届かぬ淵文芸的
墨を流したような空間文芸的
底なしの黒

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

墨壺のような文芸的
洞窟のような
海の底のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

呑み込む
塗り潰す文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

吸い込まれそうな黒文芸的
輪郭を溶かす夜文芸的
底の見えぬ漆黒文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

閉じた領域エッセイ関連

例文: 廃区画は制度の目から外れた閉じた領域となり、密売人だけが門を知っていた。

闇に紛れるエッセイ関連

例文: 鐘が鳴ると、追われた少年は市場裏の闇に紛れた。

紛れることのできる暗さ——場所として立つ和語

暗がりには入る、と言えます。闇には紛れる、乗じる、と言う。同じ暗さを指しているはずなのに、後ろに付く動詞が揃わない。この食い違いに気づいてから、どちらの語も辞書的な語義説明だけでは足りない気がしてきました。暗さの度合いが違うのではないのでしょう。たぶん、二つの語がそもそも別の種類のものを名指している。

字のほうから見てみます。門構えのこの字は、字書では形声とされるのが一般的で、門が意味の側、内側の「音」が音を表すと説明されます。門を閉ざした内側の暗さ、と会意的に読み解く説明も流布していますが、少なくとも第一義的な成り立ちは音符の問題です。ただ、由来がどうであれ、門という囲いの形が視覚として残っている事実は消えません。読み手の目には、閉じた空間として映る。字が持ってしまった副産物のようなもので、字源の正しさとは別に、読書の現場では働き続けます。

同じ音符を持つ字を隣に並べると、対比がはっきりします。暗という字は、日に「音」を組み合わせた形です。音を表す部分は二つの字で共通していて、違うのは意味を担う側だけ。片方は光源そのものを意味符に取り、もう片方は囲いを取りました。何を暗さの本体と見なすかが、字を作る段階で二手に分かれたことになります。日を選べば、光があるかないかという属性の話になる。門を選べば、内と外を持つ空間の話になる。字源の解釈には諸説がありますが、出来上がった二つの字が、属性と領域という別々の像を目に渡してしまうことのほうは動きません。しかも日本語は、この二字を訓読みでも使い分けました。片方は形容詞「くらい」に当てられ、もう片方は名詞に当てられている。字の作りの違いが、和語への割り当てにまで及んでいることになります。

和語の「やみ」の側は、はっきりしません。夜を表す語との関連を見る説、動詞の「病む」と同源とする説などが挙げられてきましたが、どれも決め手を欠くようです。確実に言えるのは、この語が古くから名詞として自立していたことです。五月闇、宵闇、夕闇——時刻や季節を冠して複合する。この作りは形容詞の側にはできません。夕方の暗さを言うのに、形容詞をそのまま名詞へ冠することはできない。しかも複合の相手が時間の語ばかりであるのは、この名詞が場所であると同時に、時間の区画でもあることを示しているように見えます。

複合したときの語形も、ほとんど変わりません。さつきやみ、よいやみ、ゆうやみ。後項に立っても頭の音は濁らず、どれも元の形のまま読まれます。日本語では複合の後項の頭が濁ることが多く、はなとひが結んではなびになるように、濁音化は二語が一体化した印になります。ところがヤ行の音には対応する濁音がないため、この語は構造上、濁りようがない。結果として、何と組み合わせても輪郭を保ったまま残ります。音韻の偶然にすぎませんが——複合しても溶けずに残る語だという印象は、たぶんこの事情から来ています。前項に立つときも同じで、闇夜、闇雲、闇討ちのように、頭に置いても形は変わらない。前にも後ろにも立てて、どちらでも摩耗しない二拍の語は、そう多くありません。

ここに使い分けの理由がありそうです。形容詞のほうは対象の属性を述べる。名詞のほうは領域を名指す。だから中に入れるし、紛れられるし、乗じることもできる。ただ、引っかかることがあります。「暗がり」も場所ではないか。確かに場所です。しかし暗がりは形容詞から派生した語で、明るい場所との対比の中にある一部分を指す。明るい部屋の隅にできる暗がりはあっても、明るい部屋の隅にできる闇は、少し不自然に響きます。この語は対比を必要としない。それ自体で完結した領域として立ち、外側を想定しません。「暗闇」という重ね方が可能なのも、暗いという属性を、この領域に付け足しているからでしょう。

近代以降の使われ方も、この性質の延長にあります。闇市、闇取引、闇に葬る。制度の光が届かない領域という比喩ですが、注意して見れば、どれも場所として扱われている。暗い取引とは言いません。属性ではなく、そこへ入っていくものと、そこから出てこないものがある容器として扱われている。だから、この語を書くときに決めるべきなのは暗さの程度ではないのだろうと思います。何がその中へ入り、何が出てこないのか。境界がどこにあり、誰がそれを越えられるのか。輪郭を持たない語に見えて、実際にはかなり具体的な地形を要求してくる語です。

文: hakadoru.ai 編集部

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