遠い

【とおい】形容詞

使い分けの視点

距離語は長さそのものではなく、比較の基準を含みます。「遥かな」は眺望、「疎遠な」は関係、「彼方」は方向を担います。何と比べて遠いのか、歩く時間や心の手続きを場面に置いて選びます。

同義語

同品詞の類義語

遥かな文芸的
隔たった文芸的
縁薄い文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

目と鼻の先ではないcolloquial
懸け離れた文芸的
疎遠な

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

霞の向こうのような文芸的
糸の切れた凧のような文芸的
地平線のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

はるばる
遥々と文芸的
彼方に文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

隔たる文芸的
疎遠になる
遠ざかる

体言的言い換え

用言を体言に変換

彼方文芸的
隔たり文芸的
長旅

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

気の遠くなるほどの
目も眩むほど隔たった文芸的
この世の果てのような文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

距離の基準エッセイ関連

例文: 雨の十歩が、負傷した旅人には距離の基準を変える長さだった。

「遠くない」が「近い」にならない理由

駅から遠くない、と広告にあった部屋が、歩いてみると十二分かかった。嘘をつかれたわけではありません。「遠くない」は「近い」を約束していないからです。論理学には、両立しない二つの述語の関係を区別する古典的な整理があります。「開いている」と「閉まっている」のように、一方の否定がそのまま他方の肯定になる対と、「白い」と「黒い」のように、あいだに灰色の帯が広がっている対。「遠い」と「近い」は後者です。遠くも近くもない領域が広々とあって、否定の言葉はいつでもそこへ逃げ込める。不動産広告は、この論理の隙間で商売をしていることになります。

中間帯が生まれるのは、この語が程度を測る形容詞だからです。距離の尺度のどこかに閾値があり、それを超えたときにはじめて「遠い」が真になる。ところが、その閾値は固定されていません。徒歩十二分は、都心の物件情報の世界では遠くないが、傘を忘れた雨の日にはずいぶん堪えるし、熱を出した子供を抱えて歩くなら果てしなく感じられる。この形容詞が述べているのは距離の測定値ではなく、測定値と基準との関係です。基準を供給するのは常に文脈で、語そのものは空欄を抱えたまま流通している。「何と比べて」を言わずに済むことが便利さの源であり、同時にすれ違いの源でもある。

否定のかけ方にも段階があります。「そんなに遠くない」「遠いというほどではない」。これらは否定の及ぶ範囲を狭くとった言い方で、閾値のすぐ手前——つまり、ぎりぎりであること——を、言わないままに含意してしまう。打ち消したつもりの言葉が部分的な肯定を漏らすのは、程度表現の否定に特有の現象です。聞き手が「つまり、それなりにあるんだな」と察するのは邪推ではなく、論理的に正当な推論だと言えます。さらに「もう遠くない」と「まだ遠い」を比べると、副詞の一語が前提を運んでいることも見えてきます。どちらも、話し手と目的地の距離が縮まりつつあるという進行の前提を密輸しており、静止した二地点の関係を述べる「ここから駅は遠い」とは、論理の骨組みが違う。旅の途中でだけ口にできる言い方です。

空間を離れても、この構造は崩れません。遠い親戚、実現はまだ遠い、といった用法は、いずれも何かの尺度の上で基準から隔たっていることを述べています。哲学には、「もし彼が謝っていたら」という反実仮想の条件文を、現実世界にいちばん近い可能世界で評価するという有名な理論があります。可能性を距離として測るこの発想は、日常語の「遠い夢」や「手の届く目標」と地続きです。空間の語彙が可能性や親密さの語彙を兼ねる現象は多くの言語で観察されており、日本語だけの癖ではありません。

小説でこの語を書くとき、作者は閾値の設定を読者に委ねています。委ねたままでは情報が薄い。基準を作中に置いたとき、同じ一語が急に立ち上がります。歩けば半日、馬を飛ばせば一刻、心の離れた二人にとっては永遠。そういう換算をひとつ書き込むだけで、距離は物語固有の重さを持ちはじめます。遠さを書くとは、距離を書くことではなく、基準を書くことである。

文: hakadoru.ai 編集部

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