ところで

【ところで】接続詞

使い分けの視点

「さて」は新しい段階へ進む端正な合図、「それはそうと」「そういえば」は会話で軽く横道へ移る形です。「閑話休題」「脇道に逸れるが」は脱線を自覚した語り手に向き、「それはさておき」は前件を棚上げします。話題変更後に誰が責任を持つかまで描き分けます。

同義語

同品詞の類義語

さて
それはそうとcolloquial
閑話休題文芸的
話は変わるが

類義句

同品詞の慣用的言い換え

そういえばcolloquial
脇道に逸れるが文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

それはさておき
ふと思ったがcolloquial
話を変えて

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

切断を宣言するエッセイ関連

例文: 艦長は切断を宣言するように手を打ち、故障の責任論から救助艇の発進手順へ議題を移した。

話題の責任を負うエッセイ関連

例文: 沈黙を破った生徒会長は話題の責任を負い、廃部の噂ではなく自分が集めた署名を皆に示した。

話題を変える権利は誰にあるか

自分の原稿から接続詞を片端から削ってみる、という乱暴な点検をたまにやります。半分以上は消えても文意が通ります。順接の多くは無くても読者が勝手に補ってくれますし、逆接すら文の並びだけで伝わることがあります。ただ、話題を切り替える「ところで」だけは、消すと会話が壊れました。情報量としてはほぼ空のはずなのに、抜くと前後がつながってしまいます。つながってはいけない場所だったのだと、削ってみて初めて分かりました。

この語が運んでいるのは接続ではなく、切断の宣言だからでしょう。前の話題と次の話題のあいだに論理関係がないことを、わざわざ明示しています。関係がないと言うために一語を使うのは、経済的には無駄です。無駄なのに省けないのは、切断が無記名で行われると、聞き手が関係を探して迷子になるからです。空白そのものには「これは空白です」と書いておかないと読まれない——この一語は、その注記に近い働きをしています。読者や聞き手は関係を探す方向に強く傾いていて、隣り合って置かれた二つの事柄は、放っておけば勝手に結ばれてしまいます。結ばせないための手間が要る。順接の接続詞が省けるのと、この語が省けないのとの差は、そこから出ています。

そこまで見て、次に気になったのは、誰がこれを言えるのかということでした。会議でも食卓でも、話題を切り替える一語を出せる人は限られています。上役が「ところで」と言えば何も起きませんが、逆向きだと空気が張ります。順番待ちの列に割り込むのと似た構造があって、発話の権利配分がそのまま露出します。人物の力関係を説明する地の文を三行書く代わりに、誰にこの一語を言わせるかを決めるだけで足りる場面は、思ったより多いはずです。しかも読者は、権利配分を意識せずに受け取ります。説明されると身構えるものが、配分として提示されると素通りで入っていきます。

もっとも、この見立てには反例がすぐ出てきます。沈黙が重くなりすぎて、いたたまれなくなった側が慌てて話題を変えることがあります。あれは権力の行使ではありません。しばらく引っかかっていたのですが、二つを並べて残るものはありました。この一語を発した瞬間、その人物は次に何を話すかについて責任を負います。権利ではなく責任のほうが本体なのです。だから、責任を果たせない人物が口にすると、続く一言が出てきません。その数秒の空白が、力関係よりも生々しく人物を描いてしまう。切り出しておいて何も出せなかった、という失敗は、地位の高低とは別の軸にあります。上に立つ人物が沈黙することもあれば、下にいる人物が場を救うこともあります。

もう一つ、いまの書き方の環境について付け加えておきます。連載形式の小説では、話題の転換は接続詞ではなく空行や章の区切りが引き受けています。組版が接続詞の仕事を吸収してしまいました。だから地の文にこの一語を残すかどうかは、機能ではなく態度の選択になります。あえて残すとき、語り手は読者のほうへ体を向け直しています——空行で済むところを言葉でやるのだから、そこには必ず語り手の気配が乗ります。手垢がついた語だと敬遠する前に、その気配を出したいのかどうかを先に決めるほうが早いはずです。

文: hakadoru.ai 編集部

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