送る

【おくる】動詞

使い分けの視点

「送る」は、人や物をここから向こうへ移す方向と、去るものを見届ける時間を持ちます。「届ける」は到着、「運ぶ」は移動の過程、「便に託す」は仲介する者を強調します。返事が来る保証のない手紙、引き返す境界、遠ざかる姿を置くと、送る側の選択が見えます。

同義語

同品詞の類義語

届けるcolloquial
発する文芸的
運ぶ

類義句

同品詞の慣用的言い換え

便に託す文芸的
郵便に乗せる
運び出す

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

矢を放つような文芸的
風に乗せるような文芸的
舟を流すような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

速やかに文芸的
ひそやかに文芸的
ゆっくりとcolloquial

体言的言い換え

用言を体言に変換

発信
配達
餞別文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

手を放す文芸的
手紙に託す文芸的
駅まで付き添うcolloquial

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

返信の道がない手紙エッセイ関連

例文: 返信の道がない手紙を北へ送り、彼女は宿の郵便受けを二度と見なかった。

荷物のない配送——写像が元を元に「送る」とき

数学の本を開くと、写像 f が元 x を f(x) に送る、という言い方に出会います。荷物はありません。運送業者も、封筒も、待っている相手もいない。にもかかわらず、この訳語はほぼ疑われることなく使われ続けています。移す、対応させる、割り当てる——候補は他にもあったはずで、それらを押しのけて定着したのだとすれば、この語の骨格のどこかが写像という概念に噛み合ったということになります。噛み合った部分と、噛み合わずに捨てられた部分の両方を見てみたくなりました。

噛み合った部分は、たぶん項の数と方向です。この動詞は三つの位置を要求します。誰が、何を、どこへ。写像も三つ組で決まります。定義域、対応の規則、値域。そして両方とも向きを持つ。A を B に送ることと B を A に送ることは同じ事態ではないし、f が x を y に対応させても、その逆が自動的に成り立つわけではない。逆写像がいつでも存在するとは限らないという事実は、返事が必ず来るとは限らないという日常の経験と、形の上ではよく似ています。捨てられたのは意志の方でしょう。日本語のこの語には送り手の意図が濃く貼りついていますが、写像に意図はない。訳語は形だけを借りて、人格を置いてきました。

距離の話をすると、噛み合わなさがもっとはっきりします。数学で距離という語を使うには、四つの条件を満たす必要があります。値が負にならないこと、値が零になるのは二点が一致するときだけであること、二点を入れ替えても値が変わらないこと、そして三点を経由すると直行より短くならないこと。三つ目が対称性です。ところが、物を送るときの遠さはしばしば対称ではない。同じ二地点でも、行きと帰りで日数が違うことはあるし、届けやすい方向と届けにくい方向がある。制度や地形が非対称を作る。つまり、この動詞が測っている隔たりは、数学の意味での距離ではなく、対称性を欠いた別のものです。

そして三つ目の顔があります。日を送る、年を送る。ここには運ばれる物も、遠さもありません。あるのは順序だけです。時間は前後の関係で一列に並んでいて、送るとはその列を先へ進めることを指す。見送る、になるとまた違って、こちらは動かず対象だけが遠ざかっていく。荷物のモデル、距離のモデル、順序のモデル、そして自分が静止するモデル。ひとつの語がこれだけ違う構造を抱え込んでいて、しかも読む側は混乱しない。文脈が、どのモデルを起動するかを毎回決めているからでしょう。

この整理が創作の役に立つとすれば、手紙や贈り物の場面で書き手が何を決めているのかがはっきりする点です。決めているのは物ではありません。方向を書くのか、隔たりを書くのか、時間の進みを書くのか。返事が来ないことの重さは、送った距離では決まらない。決めているのは、逆向きの写像がそもそも定義されているかどうかの方です。送った側だけが待っていて、受け取った側には返す義務も手段もない——その非対称に気づいた瞬間から、その関係の書き方が変わります。

文: hakadoru.ai 編集部

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