跳ぶ

【とぶ】動詞

使い分けの視点

「跳ぶ」は地面を蹴って身体を持ち上げ、溝や柵を経路として越えます。「飛ぶ」は空中移動全般、「躍る」「弾む」は活発さや反発です。「跳び越える」などの複合は方向を加えます。離地前の沈み、修正できない滞空、着地を描き分けます。

同義語

同品詞の類義語

躍る文芸的
弾む
飛び越える

類義句

同品詞の慣用的言い換え

身を躍らせる文芸的
宙を蹴る文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

羚羊のような文芸的
鞠のような
鳥のように

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

高々と
ひらりと文芸的
勢いよく

体言的言い換え

用言を体言に変換

跳躍
一跳びcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

駆け上がる
宙に舞う文芸的
飛び退く

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

離地エッセイ関連

例文: 離地の直前に膝を沈め、少年は向こう岸の妹へ跳んだ。

数えられない動詞——表記のゆれが統計に落とす影

原稿の途中で変換候補が二つ並び、どちらを選ぶかで数秒止まる、ということがあります。地面を蹴って柵を越える場面を書いていて、飛ぶと書くか、跳ぶと書くか。違いを説明しろと言われれば説明できるのに、いざ選ぶ段になると根拠が薄い。前の章でどちらを使ったかを確かめに戻り、結局その場の呼吸で決める。書き手の側の迷いに見えますが、同じ迷いは、この語を数えようとする側にもそっくり降りかかります。数える人は、原稿の書き手が数秒で下したその判断の結果だけを、あとから受け取ることになるからです。

語の出現頻度を大きい順に並べ、順位と頻度をそれぞれ対数目盛りのグラフに取ると、点はおおむね一直線に載ります。頻度が順位にほぼ反比例する、というこの経験則はジップの法則と呼ばれ、日本語を含む多くの言語で確認されています。ごく少数の語が全体の大部分を占め、残りの膨大な語が長い尾を作る。ある一語がこの直線のどこに位置するかを知ることは、その語を使うときの手触りを客観化する近道になります。

ところが、この動詞は素直に数えられません。原因は表記です。常用漢字表は「飛」にも「跳」にも「と(ぶ)」という訓を認めています。空中を移動するという意味では前者、地面を蹴って身体を持ち上げる意味では後者、という緩やかな使い分けが慣習としてありますが、境界は書き手ごとに違い、同じ書き手の中でも揺れる。頻度表に並ぶ数字は、語を数えているのではなく文字列を数えている——この区別を忘れると、統計から引き出す結論はかなり危うくなります。かなで書かれた例まで加えれば、話はさらに面倒になります。

数える前に、どの文章から取ったのかも効きます。陸上競技の記録記事、体操の指導書、児童向けの読み物、判決文。集めた文章の種類が変われば、二つの表記の比は別の値になります。母集団を言わない頻度は、順位表としては読めても、語の性質としては読めない。単位の切り方も同じくらい効きます。跳び上がる、跳び越えるを一語として数えるのか、二つの動詞に割るのかで、単独形の頻度は大きく動く。解析の道具は、辞書に登録された見出しの単位で文を切り分けますが、その見出しをどう立てるかは、道具を作った人の設計です。数字が動いたのか、設計が動いたのかは、数字の側からは見えません。解析用の辞書には、書き方の違う形を上位の単位でまとめる仕組みを持つものもありますが、どこまでを同じ語と見なすかの線引きは、結局のところ設計者の判断です。素朴に文字列で検索すれば、事情はもっと荒れます。「跳」の一字を拾うだけなら、跳ねる、跳躍、縄跳びまで一緒に釣れてくる。数える対象を決める作業のほうが、数える作業よりずっと大きい。

分布を見るなら、単独形より複合の側を見たほうが実態に近づきます。跳び上がる、跳び越える、跳び込む、跳びかかる。前項動詞としての生産性が高く、後続要素が経路や方向を担当する構造になっています。二語の連なりを単位として数えるいわゆるバイグラムの観点では、この語の直後に来る要素はかなり限られた集合に収まります。複合の生産性が高い動詞は、単独で述語として使われる割合が相対的に下がる傾向があると言われます。頻度表の数字だけを見て「よく使う語」と判断すると、実際に使えている形はごく一部だった、ということが起こります。

共起する助詞にも構造が出ます。「溝を跳ぶ」の「を」は、対象を示す格ではありません。「川を渡る」「廊下を歩く」と同じ、経路や通過点を示す用法です。したがってこの位置には、溝、柵、段差、水たまりのような空間名詞が集まる。共起統計を取れば、この偏りは数字としてきれいに現れます。ただし統計が教えるのは偏りの存在までで、なぜそうなるのかは教えません。数字は問いを尖らせる道具であって、答えではない。ここを取り違えると、計量は権威づけの道具に堕ちます。

書き手にとっての実用は、おそらく別のところにあります。全体の頻度分布を知ることより、自分の原稿一本の中での分布を知ることのほうが役に立つ。長い尾に属する語は、一度使えば読者の記憶に残ります。同じ複合形が一作の中で三度出れば、三度目は確実に「またか」と感じられる。全体分布では珍しい語でも、一万字の中では過密になりうる——この二つの尺度の違いが、手垢という現象の正体です。数えるべきは辞書の側ではなく、自分の書いたものの側でした。

文: hakadoru.ai 編集部

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