日が落ちる、と、試験に落ちる。同じ動詞ですが、前者には失敗の含みがなく、後者には失敗しかありません。物理的な下方移動と、評価の下落。この二つが同じ語形を共有しているのは偶然ではなく、長い時間をかけて起きた意味の拡張の結果です。古語では上二段活用の「落つ」でした。現代語は上一段に整理され、活用の型そのものが単純になっている。語形は摩耗し、意味は増える——通時変化では、この向きの組み合わせがしばしば観察されます。
意味変化には型の分類があります。拡大、縮小、良化、悪化。この動詞に起きたのは拡大と悪化の同時進行でした。下方への移動という中核は残り、そこに「基準を下回る」「所属していた場所から外れる」といった抽象的な用法が積み重なっていく。都落ち、格が落ちた、評判が落ちた。いずれも上下の空間関係を、評価の軸へ読み替えています。悪化はこの読み替えの副産物です。上が良く下が悪いという配置を採用した瞬間、下降を表す語は失敗の語彙に組み込まれる。
ただし、悪化は徹底していません。「腑に落ちる」は納得を表し、競売での落札は取得を表す。汚れが落ちた、憑き物が落ちたよう——望ましい結果を指す用法も、しっかり残っています。落下の到達点が悪い場所とは限らない、ということです。この動詞は方向を指定しますが、着地点の価値までは指定しない。指定しないからこそ、評価語へ傾きながら中立の用法を手放さずに済んだ。意味変化が一方向に進みきらない理由は、たいていこうした構造の側にあります。
連用形が名詞になった側にも、痕跡が残っています。落ち度、落ち着く、落ち武者。どれも下降の実感はほとんど失われ、抽象的な関係だけが残っている。落語という呼び名も、噺の末尾に置かれる「落ち」から来ていると説明されます。物語の末尾に何かを落とす、という発想が芸能の名前そのものになった。物語をたたむ動作を、上から下への移動として捉える見方は、こうしてかなり古い層から続いていることになります。ある構文が消えても、名詞化した破片は生き延びる。語の歴史を追うとき、この破片のほうが本体より多くを語ることがあります。
恋に落ちる、という言い方については、英語の表現の影響で広まったという説があります。断定できるだけの材料は手元にありません。確かなのは、この用法では落下が不可抗力として扱われる点です。試験の場合、落ちた者は準備不足を問われる。恋の場合は問われない。同じ語形で、責任の所在が正反対になる。意味が拡張するとき、拡張先が元の用法の含意をすべて引き継ぐわけではないことが、ここによく出ています。引き継がれるのは方向だけで、周辺の含みは行き先ごとに組み直される。
近年また一つ増えました。サーバーが落ちる、アプリが落ちる。稼働を上、停止を下に置く配置がすでにあり、そこへ新しい対象を差し込んだだけで、実際には何も下へ動いていない。書き手にとっての利点はここにあります。この一語は、物理・評価・機械のどの層を指すのか明示せずに使える。落ちた、とだけ書けば、読者が文脈から層を選ぶ。曖昧さとして放置すれば散漫になりますが、層を重ねる装置として使えば、一行で二つの下降を同時に起こせる。夕暮れの描写と、面接の結果と、その両方を一度に落とすことができる。