「わ・か・わ・か・し・い」と区切れば六拍あります。日本語の形容詞としては長い部類で、同じ意味領域を担う三拍の語と比べれば、ちょうど倍の長さを取ることになる。表記の上では踊り字を含めて四文字ですから、文字数を数えているかぎりこの重さは見えません。目に見える長さと耳に聞こえる長さがずれる——計量文体論が文字数ではなく拍数や音節数を単位に取るのは、この種のずれを拾うためです。一文が四十字前後の描写文なら、この語だけで音数の一割強を占めます。しかも語幹に同じ音列が二度現れるため、聴覚的な存在感は拍数から予想されるより大きくなる。黙読していても読者は内語として音を追っており、長い語は実際に時間を消費します。
反復を含む形容詞は、日本語の中でひとまとまりの族を作っています。初々しい、瑞々しい、荒々しい、雄々しい、軽々しい、白々しい、図々しい。並べると共通点が浮かびます。どれも対象の内実ではなく、外から見た印象への評価である。年齢の事実は述べず、年齢とは独立に「そう見える」ことだけを述べる。だから実年齢の高い人物にも使えるし、若い人物に当てると同語反復に近づいて力を失う。この族の語を選んだ時点で、書き手は文中に観察者がいることを宣言している。誰が見ているのかを決めずにこの語を置くと、視点の所在だけが宙に浮きます。
計量文体論では、文長の分布とその散らばりを文体の指標に使います。長い語を含む文は、当然その分だけ伸びる。ただし効いてくるのは平均ではなく分布の形です。六拍の評価語を含む文が段落内で繰り返されると、文長の山が右にずれ、段落全体の速度が落ちる。落ちること自体は欠点ではありません。人物を紹介する段落や、時間が緩む場面では、その減速が仕事をする。問題は、動作が連続する場面に紛れ込んだときで、そこだけ速度が変わって読者は理由の分からない段差を踏むことになります。会話の直後に置いた場合も同様で、台詞は短い文が続く場所ですから、落差はいっそう目立つ。
もう一つの指標に語彙密度——全語数のうち内容語が占める割合——があります。評価形容詞は内容語ですから、密度を上げる方向に働く。ただし上げ方に癖があって、名詞や動詞と違い、新しい情報をほとんど増やさないまま数値だけを押し上げてしまう。読み手の実感としては「濃いのに何も分からない」文になる。経験的には、人物の第一印象を書く段落で評価形容詞を三つ以上重ねると、この状態に落ちやすい。一つに削り、残り二つ分の分量を具体的な動作や身体の細部へ振り替えると、密度の数値は下がっても、読者が受け取る情報は増えます。指標が改善することと文章がよくなることは、必ずしも同じ方向を向かない。
実際に手を動かすなら、自分の原稿から一段落を取り、評価語に印をつけて、その語が何拍あるかを書き添えてみる。三拍以下の語ばかりなら、その段落は速い。六拍の語が二つ以上あれば、そこは読者が立ち止まる場所になっている。あとは、立ち止まらせたい場所と一致しているかを確かめるだけです。一致していれば長い語は長いままで正しく、ずれていれば短い語に替えるか、立ち止まる理由の方を場面に足す。拍数は好みの問題ではなく、読者が実際に費やす時間の見積もりだからです。