明治期の日本にとって、生糸は主要な輸出品でした。一八七二年に操業を始めた富岡製糸場は、その体制を象徴する施設として知られています。当時この比喩を読んだ人にとって、素材は輸出統計の言葉であると同時に、めったに身につけられない上等な布でもあった。手が届かないが、実物として確かにそこにある——比喩の足場としては、かなり強い位置です。憧れの対象でありながら、手触りの見当だけはついている。この二つが同時に成り立っていた時期は、そう長く続きませんでした。
現在はどうか。日常でこの繊維に触れる機会は減りました。代わりに周囲にあるのは、化学繊維のサテン地であり、寝具の広告であり、髪をなびかせる映像です。そう考えると、この比喩は参照先を失って空回りしているように見えてきます。ただ、その結論には自分で待ったをかけたくなります。実際には、この句は今でも十分に通じる。読み手は迷いません。空回りしているなら、とうに使われなくなっているはずです。
もう一度考え直すと、失われたのは参照先そのものではなく、参照の仕方だったようです。かつて共有されていたのは「触れたことがある」という経験でした。今共有されているのは「なめらかで光沢がある」という知識のほうです。実感の共有から知識の共有へ、足場が入れ替わった。だから通じるけれども、通じ方が変わっている。比喩が、少しずつ定義に近づいている。
足場の入れ替わりは、この句だけに起きたことではありません。鏡のような水面、と書くとき、読み手が思い浮かべるのはガラスの鏡でしょう。歪みがなく、像がそのまま返る面です。ところが、水面を鏡になぞらえる言い回しが定着していった時代に人が手にしていたのは、磨いた金属の鏡でした。銅や青銅の面は、丹念に磨いても現代の鏡ほど平らにはならず、像はいくらか曖昧に返っていたはずです。それでも句は生き延び、しかも読み手の側で、いつのまにか性能のよい鏡へ差し替えられている。比喩は、指し示す実物を更新する権利を、読者に預けたまま流通していく。書き手が管理できるのは句のかたちだけで、その先の物は、時代が勝手に入れ替えていきます。
痕跡は、受け取られる感覚の種類にも出ていると思います。触覚の比喩だったものが、視覚として受け取られやすくなった。肌をこの語で形容したとき、多くの読み手がまず思い浮かべるのは、手のひらの記憶ではなく、光の滑り方でしょう。もっとも「絹のような手触り」という言い方は現役ですから、触覚が死んだわけではない。二つのモダリティが並存していて、重心だけが移動した、という程度の話です。同じ素材が別の感覚まで担っていることも、この語の面白いところです。悲鳴を形容する古い言い回しでは、裂ける音として登場する。触覚でも視覚でもなく聴覚。実際に布が裂ける音を聞いたことのある読者は今どれだけいるか怪しいのに、その句はまだ生きています。ここまで来ると、句は実物から切り離されて自立している。素材が語の意味を支えるのではなく、語のほうが素材のイメージを配給している。
素材名が目盛りとして独立していく道筋は、食べ物の呼び名にも出ています。豆腐を木綿と絹ごしで呼び分けるとき、絹の字が指しているのは布ではなく、きめの細かさの位置です。実際に絹の布で漉すわけではない、と説明されることが多い。それでも呼び名は通じ、店頭で誰も迷いません。ここでも働いているのは、実物との接触ではなく、共有された尺度のほうです。目盛りになった素材名は便利で、そのぶん浅い。誰でも読める代わりに、誰の記憶にも触れないからです。同じことが直喩の側でも起きていて、定義として流通した比喩は、意味を運びはするけれど、身体には届かなくなります。
書き手として使えるのは、この二層の区別です。読者が触れたことのある物を持ってくれば、比喩は身体の側で起き上がる。触れたことがなくても、定義として流通していれば意味は通る——ただし通るのは意味だけで、感覚は届かない。どちらを狙っているのかを、置く前に決めておく。決めたうえで、なお使いたいなら手はあります。定義に近づいた比喩は、条件を一つ足すと実物へ戻る。冷たさを足す。重さを足す。指を引くとかすかに引っかかる感じを足す。共有されている知識の外側にある一点を書き添えるだけで、読者は自分の記憶を探しに行きます。摩耗した比喩を捨てるか磨くかは、その一点を持っているかどうかで決まります。