簡単なお願いなんですが、と切り出された側は、その時点で断りにくくなっています。前置きの目的は相手の負担を軽く見せることですが、軽いと決めたのは頼む側です。実際にどれだけ手間がかかるかを知っているのは、これから手を動かす側のほう。つまりこの前置きは、判断の材料を持たない者が、持っている者の代わりに見積もりを出している。丁寧に聞こえる形式のなかに、その入れ替わりが仕込まれています。
そうなるのは、この語が何を測っているかによります。付く名詞を集めてみると、質問、説明、自己紹介、作業、手続き、食事——ほとんどが行為を表す名詞です。物そのものには付きません。机や山を、この語で形容することはできない。機械についてなら言えますが、それは操作という行為を経由しています。この語が値を返すのは対象の属性ではなく、対象に関わる誰かの負担のほうです。負担は人によって違いますから、この語の値には必ず誰かの立場が含まれる。中立の難易度ラベルではありえない。
その事情は、副詞形の二義にも現れます。簡単に言うと、のように発話動詞が続く場合は「簡略に」の意味になり、情報量の話をしている。簡単に壊れる、簡単に勝つ、のようにそれ以外が続くと「容易に」の意味で、難易度の話になる。同じ形が、後ろに来る動詞の種類だけで指すものを切り替えている。話し手はどちらを言っているか明示しないまま、聞き手が正しく仕分けることを当てにしている。
対になる語の顔ぶれにも、ねじれがあります。漢語としては難易の対があり、難しいと易しいが揃っているはずですが、日常でこの二字と対にされるのは、たいてい和語の「難しい」のほうです。この語の反対を言うのに、易しくない、とはあまり言わない。漢語と和語の混ざった対が定着している。一方に揃えたほうが整うはずなのに揃わないのは、二つの語が担う領域が完全には重なっていないためだと考えられます。易しい、は学ぶ側から見た平明さに寄る。
否定の側にも非対称があります。簡単ではない、は「難しい」より弱く、婉曲になる。逆向きの、難しくない、も肯定形より弱い。強すぎる肯定を避けて、両側から中間へ寄せる言い方が用意されている、という構造です。この目盛りで話し手が調整しているのは難易度そのものではなく、失敗したときに誰の責任になるかの配分です。言い切ってしまえば、できなかった側に原因が帰属する。ではない、と一段緩めておけば逃げ道が残る。
向きを変えると、同じ形式が逆の働きをします。簡単なものですが、と言って食事を出す場面では、話し手が値踏みしているのは自分の提供物です。他人の負担に向ければ押しつけになるものが、自分の労力に向けると謙遜になる。形式は変わらず、見積もりの矢印だけが反転している。日本語の丁寧さの多くは、この矢印の管理でできています。
会話文でこの語を使う人物は、必ず誰かの負担を代理で見積もっています。だから一言だけで、その人物が相手の事情をどれだけ想像しているかが出てしまう。同じ台詞が、励ましにも侮辱にも読める——分かれ目は、話し手がその作業を自分でやったことがあるかどうかです。やったことのある人物の口から出れば、根拠のある励ましになる。ない人物が言えば、他人の時間を勝手に安く見積もった発言になる。台詞の前に、その人物の経験を一行だけ置いておけば、読者は自分で仕分けてくれます。