英語の文章を訳していて、mysterious と mystical のどちらもこの語に落ちてしまう場面に出くわすことがあります。逆向きに訳そうとすると、そこで詰まる。日本語のこの一語から、どちらを選べばいいのかが決まらないからです。探偵小説の題名に使われるほうの語と、宗教的な合一を語るときの語が、日本語では同じ形に収まっている。訳語が足りないというより、区切りの線が別の場所に引かれている、という感じがします。
ギリシャ語の μυστήριον は密儀を指す語で、目や口を閉じることを意味する動詞と関連づける説が知られています。もしそうなら、この系統の語の中心にあるのは、対象の性質ではなく、参加者の身体の動作です。閉じる人がいる。ドイツ語の geheimnisvoll は、Heim(家)と結びつく geheim を核に持ち、「家の内側にある」から「隠された」へ移ったという語源説があります。こちらの中心にあるのは場所です。内と外の壁がある。そして日本語のこの語が中心に置いたのは、神という存在そのものでした。三つとも似た領域を指しているのに、指の置き場所が違う。動作、場所、存在。
ここで一度立ち止まります。語源をこう並べると、いかにも各言語の世界観が違うという結論に持っていきたくなるのですが、それは早い。語源は語の現在の意味を決めません。geheimnisvoll を使うドイツ語話者が家を思い浮かべているわけではないし、mystery を読む人が目を閉じてもいない。語源はすでに摩耗して、記号として平たくなっている。それでも訳の場面で詰まるという事実は残ります。摩耗しても、分節の線だけは残るからです。線がどこを通っているかは、語源とは別に、現在の用法の分布から確かめるしかない。
分布を見ると、英語の側の線は「説明がつかない」と「聖なるものに触れている」の間を通っています。前者は解けば消える。後者は解けない。日本語のこの語はその線をまたいで使えてしまう。密室の事件にも、山中の社にも、微笑にも付く。またげる理由の一端は、語形そのものにあるのかもしれません。二字の漢語に「的」を付けて形容動詞にする型は、近代に大量に作られました。「的」は西洋語の形容詞化接尾辞に対応する形として広まったという説があり、音の近さが後押ししたとも言われますが、確実なところは断定できません。ただ、この型の語は名詞をそのまま抱えたまま形容詞のふりをするので、名詞が持つ意味の幅を丸ごと持ち込んでしまう。だから広い。
訳す側からすると、この広さは面倒ですが、書く側から見れば材料です。英語で書くなら、この段階でどちらかを選ばされる。日本語では選ばずに済む。選ばずに済むということは、読者の側で勝手にどちらかに決められるということでもある——そしてたいていは、弱いほう、つまり「よく分からない」のほうに落ちます。
だから実務としては、選ばなくていい語を使いながら、選んだほうの手触りを別の一語で補うことになります。解けない側に寄せたいなら、対象ではなく人物の側の動作を書く。声を落とす、足を止める、帽子を取る。解ける側に寄せたいなら、その場に説明を欲しがっている人物を一人置く。語そのものは動かさず、周囲の配置で線を引く。訳語の足りなさは、書くときには自由度として使えます。