原稿の一段落を、意味を無視して文字数だけの折れ線グラフにしてみると、山と谷が交互に現れます。短い文が続いた後に長い文が来て、また短くなる。この起伏が読みやすさの相当部分を作っているのですが、面白いのは、特定の動詞が決まって山の頂点に現れることです。視覚を表す動詞のなかにも、谷に収まるものと、山を作るものがあります。
拍の数から見ると、差は小さく見えます。「見る」は二拍、この語は四拍。二拍増えただけです。ところが実際の文では、増分はもっと大きくなる。この動詞が要求する目的語の性質が違うからです。「窓を見る」は自然ですが、狭く輪郭のはっきりした対象を置くと座りが悪くなる。空、街並み、遠くの山、暮れていく海——広がりを持つ名詞か、修飾句を伴った名詞句が来ます。修飾句が付けば助詞も増え、文はさらに伸びる。動詞そのものの長さより、動詞が呼び寄せる周辺語の量のほうが効いています。
計量文体論では、語彙密度という指標をよく使います。全語数のうち内容語の占める割合で、これが高いほど情報が詰まって硬く、低いほど緩やかに読める。経験的には、この動詞を含む文は密度が下がる傾向があります。修飾語と機能語が増えるからです。裏返せば、密度の高い短文を並べたい場面には向かない。同じ視覚の意味場に属していても、二拍の動詞は緊迫した場面の連打に、四拍のこちらは緩んだ場面の一文に、それぞれ収まりやすい。意味が近いから交換できる、とはならないのはこのためです。
読点の数にも同じ影響が及びます。目的語が長くなれば、その内部に修飾の切れ目が生じ、書き手はほぼ反射的に読点を打ちます。一文あたりの読点数は、文の長さとともに増えるのが普通ですが、増え方は語の選択に左右される。長い名詞句を要求する動詞を選んだ時点で、その文の句読点の設計はおおよそ決まってしまいます。音楽で、旋律の音価を決めるとブレスの位置がほぼ自動的に決まるのに似ています。動詞を選ぶという行為は、意味を選ぶだけでなく、その一文の呼吸の置き場所を先に決めてしまう行為でもあります。
段落の中のどこに置くかでも働きが変わります。視線を向けるという行為は瞬間的ですが、この語が指すのは持続です。持続する動作を段落の末尾に置くと、その段落の時間が末尾で伸びて終わる。逆に冒頭に置けば、以降の描写がすべてその視界の内側で起きることになり、続く文はカメラの中身として読まれます。同じ一語が、位置によって時間の伸縮装置にも、視点の枠にもなる。どちらの機能を使っているかを、書いている最中に自覚しているかどうかで、段落の設計精度はかなり変わります。
実務上の注意はひとつだけです。この語を一段落に二回入れると、山が二つ並んでしまい、起伏が消えて平坦になる。長い文が続いたときの読者の疲労は、内容の難しさよりも起伏の欠如から来ることが多い。短い視覚動詞と混ぜて使う、あるいは片方を名詞句に置き換える。数える価値のある語というのは、意味が重いからではなく、周囲の語数を勝手に決めてしまうからです。