三拍の形容詞に、ひとつ音を差し込んでみます。あ・ま・い、と数えて三拍。ここに促音を入れると「甘ったるい」になり、あ・ま・っ・た・る・い で六拍。別の入れ方をすると「甘っちょろい」で、あ・ま・っ・ちょ・ろ・い——拗音は一拍と数えるので、これも六拍。二つとも、もとの語にはなかった否定的な評価を背負っています。甘さそのものは褒めることも貶すこともできる中立の性質のはずなのに、促音の入った形だけは、褒める方向に使えない。
比べると、この片寄りがよく見えます。「苦い」に接頭辞が付くと「ほろ苦い」になり、こちらは評価が上がる方向へ動きます。ほろ苦い青春、ほろ苦い勝利。苦さは本来なら不快の側なのに、音がひとつ増えることで味わいの側へ移された。ところが逆向きの「ほろ甘い」は、日本語のなかで定着した形になっていません。快の側の語を、さらに快の側へ押し出す形式は用意されていない。増補された語形が向かう先は、この語に関しては下方向だけです。
促音とは、拍として一拍を占めながら、そこに音の実体がない現象です。調音器官をいったん閉じて息を止め、次の子音を強く放つ。耳が受け取るのは、音そのものより、音が来ないという事実のほうです。無音の一拍は、口の中でのつまずきとして聞こえる。音象徴を法則のように断定はできませんが、この語の場合、つまずきの位置と評価の転落がきれいに一致していることは確かです。滑らかに三拍で流れれば中立、一度つっかえれば否定。
ただし、同じ促音でも活用によって現れるものは評価を動かしません。過去形は、あ・ま・か・っ・た の五拍で、ここにも促音が入っています。音便として生じたこの促音は、語幹の内部に割り込んだ先ほどの二例とは働きが違い、意味にも評価にも触れない。促音そのものが否定を運んでいるのではなく、語幹を割って入ったときにだけ、その働きが起きるということです。位置が意味を決めている。
複合語での振る舞いも、この語の音の性格を示します。前部要素として使われる例は多く、甘酒では後部の語頭が濁って「あまざけ」になります。ところが甘辛は「あまがら」になりません。日本語の連濁は、二つの要素が主従の関係にあるときに起きやすく、対等に並んでいるときには起きにくい。甘辛は甘さと辛さを横に並べた語ですから、濁らないほうが規則にかなっている。濁るか濁らないかを聞くだけで、その複合が主従なのか並列なのかが判定できることになります。
母音の並びも見ておく価値があります。語幹は「あま」で、母音は a と a。口の開きが変わらないまま二拍続き、最後に i で閉じる。同じ味覚形容の「苦い」は語幹が「にが」で i と a、開きが動きます。開きが変わらない語幹は、舌の位置を保ったまま発音できるので、身体としては楽な部類に入る。楽な音で、快い性質を指している。促音の挿入は、その一致を壊す操作にあたります。
書く側の実務としては二点。否定的に使いたいときにわざわざ促音形へ逃げないこと——判断が甘い、詰めが甘い、は三拍のまま否定を運べます。促音形に頼ると評価が語のほうから勝手に出てきて、人物の観察が省略される。もう一点は、a の連続が近接すると耳が単調になることです。甘い雨、甘い匂い、と重ねると母音の並びが揃いすぎる。片方を温度や質感の語へ渡せば、開きの動きが戻ります。三拍という短さは置き場所を選ばない代わりに、置きすぎたことに書き手自身が気づきにくい。数えてみるのが早い。