学校にプールがあるのは当たり前ではありませんでした。全国的に整備が進むのは戦後で、その契機の一つとして、修学旅行の児童が多数犠牲になった一九五五年の船舶事故が語られることがあります。因果をどこまで直線で結べるかは慎重であるべきですが、水難を「起きてしまった不運」から「教育で減らせる事故」へ位置づけ直す動きが、この時期に強まったこと自体は疑いにくい。その前、明治期には海水浴が健康法として紹介され、療養と体育の文脈で海に入ることが推奨されていたと伝えられます。水に入る行為が、少しずつ制度の対象になっていく過程がある。
制度化は語彙も連れてきます。行政の文書に載るのは「溺死」「水難」で、これらは死因や事故を分類するための語です。分類語には、体験の手触りを消す働きがあります。何人が、どの水域で、どの季節に。表に整理された瞬間、そこにあったはずの数分間は数字の一行になる。日常語のほうはそれをしません。溺れた、と言うとき、話し手は結果ではなく過程を指している。同じ出来事について、二種類の語彙が別々の目的で並走している状態です。
そういう年表を眺めていると、比喩のほうはどうなっていたのか、と気になります。情に溺れる、酒に溺れる、快楽に溺れる。この用法は近代の産物ではなく、漢語の「溺愛」を含めてずっと古い。制度が水難を管理下に置くにつれて、実際の溺水経験は減り、比喩だけが日常語として残った——そういう筋を立てたくなります。立てたくなりますが、これを支える資料を私は持っていません。頻度の推移を示せないまま因果を語るのは、いちばんやってはいけないことです。ここは保留にします。
保留にしたうえで、それでも言えることが一つ残ります。現代の読者にとって、この語の一次的な像は自分の体験ではないということです。多くの人にとって、溺れることは映像と授業と訓練を通じて知られている。着衣泳の実習、浮いて待てという標語、救助の手順。つまり像はすでに一度、教育というフィルタを通っている。溺れる者は藁をもつかむ、という古い言い回しがまだ生きているのは、水に落ちた人間の必死さが誰にでも想像できた時代の遺産で、いまはその想像すら教材によって形を与えられている。
そして教育が繰り返し伝えているのは、実際の溺水が静かだということです。救助の分野では、溺れかけている人は叫ばず、手を振らず、水面を打つ余裕もなく、ごく短時間で沈むと説明されます。腕は本能的に水面を押さえる方向に動き、声を出すための呼気は残らない。派手に暴れて助けを求める図は、現実よりも演出の記憶に近い。一方で、比喩としての溺れ方は正反対です。酒に溺れる人物は騒がしく、長い時間をかけて沈み、周囲は繰り返し警告を発する。
この非対称は、そのまま書き手の道具になります。物理的な溺水を書くなら、音を削る。水音、悲鳴、水しぶきを外して、視界と呼吸だけを残す。比喩として書くなら逆に、時間の長さと周囲の声を書く。両者を一つの作品の中で意図的に衝突させることもできます。取り返しのつかない依存を、静かで速い溺水の文法で描く——それだけで、読者の予期はずれる。語が二つの記憶を抱えていることは、扱いにくさであると同時に、使える落差でもあります。