果たして
【はたして】副詞使い分けの視点
「果たして」には予想との一致を告げる古風な確定用法と、結果を宙吊りにする疑問用法があります。語り手が結末を知っているかを意識し、確定側は時代や俯瞰の声、疑問側は待つ視点に合わせます。
同義語
同品詞の類義語
類義句
同品詞の慣用的言い換え
婉曲・強調変換
ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)
「果たして」には予想との一致を告げる古風な確定用法と、結果を宙吊りにする疑問用法があります。語り手が結末を知っているかを意識し、確定側は時代や俯瞰の声、疑問側は待つ視点に合わせます。
同品詞の類義語
同品詞の慣用的言い換え
ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)
下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。
例文: 果たせるかな、封印は古文書の予告どおり月食の夜にほどけた。
「果たして彼は来た」。「果たして彼は来るだろうか」。前者は出来事が済んだことを告げ、後者は済むかどうかを宙吊りにします。同じ四文字が、確定と未確定の両方に顔を出す。気づいた当初は単純な多義だろうと片づけかけたのですが、多義と呼ぶには二つの用法があまりに近いところに立っています。辞書の項目を分けて済ませるには、隣り合いすぎている。
出自は動詞です。「果たす」の連用形に接続助詞が付いた形で、遂げ終えるという動作から副詞への道が始まっている。だとすれば「見込みを遂げた結果として」が原義に近いことになり、予想の的中を告げる用法のほうが古い層にあたると考えるのが自然です。実際、確定側の用法は動詞の面影を濃く残しています。何かが完了して、その完了が事前の見込みと一致した——この二段構えが、副詞になった今も畳まれたまま残っている。
では疑問の用法はどこから来たのか。ここで少し立ち止まります。この副詞が疑問文の中に置かれると、照合すべき結果がまだ手元にありません。照合の手続きだけが残り、照合の対象の席が空く。空席のまま置かれた手続きは、期待の宙吊りとして働きます。とすればこれは意味の反転ではなく、同じ機能が置かれた環境の違いによって別の顔を見せているだけだ、とも言える。反転説より、こちらのほうが説明としては節約的です。
ただ、この整理には穴があります。環境の違いだけで説明がつくのなら、二つの用法は今も対等に生きているはずです。ところが現代の文章に「果たして彼は来た」と書くと、どこか古めかしく読まれる。書き言葉には確定側が痩せた形で残っている一方、話し言葉ではほとんど疑問側に吸収されている、というのが手元の印象です。環境で説明できるのは共存の仕組みまでで、この非対称までは説明できない。片方の用法が、それを使う場面ごと縮んだと見るほうが実態に合いそうです。語形は保たれたまま、用法だけが片肺になる。摩耗はいつも語形から始まるとは限らない。
化石として残った形もあります。「果たせるかな」——予想どおりであったことを告げるこの言い方は、確定側の用法だけを凍らせたまま現代まで届いています。古い活用をそのまま抱えて慣用句になっているので、これ以上は変化しません。生きている語が用法を減らしていく一方で、句として固まった形には減らす余地がない。同じ語幹から出た二つの形が、片方は痩せながら動き、片方は太らないまま止まっている。語の履歴は、しばしばこういう食い違いの形で残ります。
創作の側に降ろすと、この痩せ方は道具になります。疑問側を選べば、語り手は結末を知らない位置に立つ。確定側を選べば、語り手は結末を先に知っていて、しかも読者の予想を追認する位置に立つ。副詞を一つ置き換えるだけで、語りの視座が数行ぶんずれるわけです。古めかしさは欠点ではなく、その視座のずれを読者に気づかせる印になる。片肺になりかけた用法は、消える直前がいちばん明るい。
文: hakadoru.ai 編集部
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