京都の住所には「上ル」「下ル」が入ります。烏丸通を北へ行けば上ル、南へ行けば下ル。碁盤の目に区切られた街で、南北の移動だけが上下として言語化されている。御所が北にあること、そして京都盆地が実際に北へ向かってわずかに高くなっていることが、理由として挙げられます。理由はどうあれ、ほとんど平らな土地の上に垂直の座標が敷かれていて、住所という日常の道具の中で今も生きている。上下は、地形の話とは限らない。
同じ現象は、もっと広い範囲にも見つかります。都へ向かうことを「のぼる」と言った時代の名残が、上京、上洛、上方といった語に残っています。鉄道では、東京へ向かう列車を上りと呼ぶ習慣が続いている。ここでの上下は高度ではなく、中心からの距離です。中心に近づくことが上、遠ざかることが下。物理的な高さと、社会的な中心性が、同じ語彙で処理されている。どちらが先だったのかは分かりませんが、二つの体系が一つの語に同居していることは確かです。
日常語の側に戻ると、表記の分岐が出てきます。登る、上る、昇る。同じ音に三つの漢字が当てられ、使い分けは緩やかです。ただ緩やかなりに傾向はあって、支えを使わずに高い方へ移る運動のときに、この字が選ばれやすい。日、月、煙、湯気、そして魂。梯子を使えば別の字になり、階段を使えばまた別の字になる。手足で登るのでも、道に沿って上るのでもなく、ただ上方へ移っていくもの。書き分けは、対象がどう動いたかについての判断の表明になっています。
面白いのは、この動詞が名詞化されにくいことです。朝の現象を指す名詞は「日の出」であって、動詞のほうを名詞に立てた言い方は定着していません。日は昇る、と動詞では言うのに、名詞になる段で別の語幹に乗り換える。慣用句の層でも住み分けがあって、有頂天の状態を指す言い方には天へ向かう語が使われ、価格や人気が急に上がることには魚の名を冠した別の言い方が定着している。同じ音の動詞が、慣用句ごとに違う漢字と違う情感を割り当てられている。日常語の層は、専門語より整理されていない代わりに、細かい住み分けを大量に抱え込んでいます。
制度や技術の語彙では、この字はまた別の顔をします。昇進、昇給、昇格、昇圧、昇温。どれも、人や量が階梯を一段上がることを指します。ここで気づくのは、日常語の側の運動が連続的なのに対して、専門語の側が離散的だという点です。太陽は滑らかに昇りますが、等級は飛び飛びにしか上がらない。同じ字が、連続と離散の両方を引き受けている。専門語と日常語の断層は、意味の違いというより、時間の刻み方の違いとして現れる——そう整理すると、なぜ「少しずつ昇進する」が座りの悪い言い方に感じられるかも見えてきます。
もっとも、この対立は表記が作った後付けかもしれません。漢字の使い分けの多くは近代以降に整理されたもので、話し言葉に同じ区別があるわけではない。声に出したとき、日ののぼると出世ののぼるは同じ音です。区別しているのは目だけで、耳は何も区別していない。それでも書き手には効きます。読者は文字を見ているので、字の選択は届く。平らな土地に上下を敷いた住所表記と同じで、実体がなくても、共有された座標は機能します。