振り向く

【ふりむく】動詞

使い分けの視点

動作の速さを立てるなら「弾かれたような」や「ぱっと」、意識だけを移すなら「目を向ける」や「一瞥」が適します。「振り向く」は背を向けていた直前と、向いた後の視界を一度に生む語です。一般小説では、呼びかけや気配を先に置くと回転の理由が像になります。

同義語

同品詞の類義語

顔を上げる
目を向ける
首を回す

類義句

同品詞の慣用的言い換え

視線を投げる文芸的
目を遣る文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

弾かれたような
風に揺れるような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

はっと
ぱっとcolloquial
思わず

体言的言い換え

用言を体言に変換

振り向き
一瞥文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

目を上げる
気配を窺う文芸的
顔を向ける

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

振り向きざまエッセイ関連

例文: 彼女は振り向きざま、落ちてきた鍵を空中でつかんだ。

摩耗しなかった「振り」——首の回転から注意の配分まで

予算を別の事業へ振り向ける、という言い方があります。人員の再配置にも使う。この言い回しの中に、首を回すあの動詞と同じ語幹が居座っていることに気づくと、少し足が止まります。予算には首がないし、誰かの顔を見ることもない。それでも語形はそっくり同じで、しかも比喩として気取ったところがまるでない。日常の事務書類の中に、身体の動作が化石のように埋まっている。

「振り」はもともと、腕や体を勢いよく動かす「振る」の連用形です。振り仰ぐ、振り切る、振り絞る、振り分ける、振り出す。並べてみると、意味の重心はどれも後ろの動詞のほうにあって、前半は勢いや急激さを添えるだけの部品に近づいています。語形は残っているのに、それが担っていた具体的な動作の像は薄まっていく。通時的な変化としてはありふれた現象で、摩耗と呼ばれる部類に入ります。では同じ摩耗がこの語にも及んだのか。ここで引っかかります。振り仰ぐの「振り」は、外してもさほど損なわれない。ところが首の場合、外すと明らかに何かが落ちます。「向いた」では、そちらを向いている状態しか言えない。前半が付くと、直前まで背を向けていたという前提と、その姿勢が壊れる速さとが、一語のうちに畳み込まれる。摩耗を免れたというより、後半の動詞が状態しか表さないぶん、行き場を失いかけた前半がそこで働き口を見つけた——そう考えたほうが辻褄が合います。

同じ前半を持つ語をもう一つ並べると、事情がさらに見えます。振り返る。後半の「返る」はもとの位置へ戻る動きを含んでいて、この語は早い段階から時間の方向へ抜けました。半生を振り返る、一年を振り返る、失敗を振り返る。過去を目的語に取れます。ところが首の側の語には、どれだけ探しても回顧の用法がない。昨年を振り向く、とは言えません。前半が共通で後半だけが違う二語が、片方は過去へ、片方は現在の空間へと、別々の坂を下りていったことになります。摩耗は語形の側で起きる現象ですが、意味がどちらへ流れるかを決めているのは、複合の後半に置かれた動詞のほうです。

その証拠と言えるかどうかは分かりませんが、この語は「ざま」という接尾辞をよく取ります。振り向きざま。ある動作が完了する瞬間にもう一つの動作を重ねる形式で、これは動詞の側に明確な切れ目がないと成立しません。すれ違いざま、抜きざま。仲間を並べると、どれも一瞬で終わる動作ばかりで、継続する動きは入り込めない。歩きざま、とは言いにくい。歩行には切れ目がないからで、切れ目のない動作には、別の動作を重ねる位置が指定できません。時間を前と後ろに割る性質を持っていたからこそ、この語は接尾辞のほうから選ばれた。

冒頭の事務用語へ戻ります。厳密に言えば、予算のほうは「振り向ける」という他動詞で、首の側は主語自身が回る自動詞です。自他の対を持つ動詞は日本語にいくらでもありますが、この対では、自動詞が身体に留まったまま、他動詞の側だけが資源配分の語彙へ出ていきました。人手を振り向ける、資材を振り向ける。目的語に立つのは、量として数えられ、複数の使い道のあいだで奪い合いになるものばかりです。そして自動詞の側にも、その含みは薄く流れ込んでいる。回転は一度に一方向しか選べません。有限のものを配るという構図は、抽象へ移る前から身体の動きに備わっていたことになります。

意味はもう一方向へも伸びました。「あの人は振り向いてくれない」と言うとき、頸椎の回転はもう問題になっていません。関心が自分の側へ割り当てられるかどうかが問題になっている。身体の向きから注意の向きへ。注意を有限の量として扱い、それをどこへ配るかを語る言い方は、日本語に限らず広く見られます。そう並べると、冒頭の予算の話は同音の偶然ではなく、同じ坂を最後まで下りきった地点だということになる。ただし、どちらの用法が先に定着したのかまでは、手元の材料では決められません。

書く側にとって使えるのは、この語が時間を二つに割る道具だという点です。回った後の視界は書きやすい。難しいのはその手前で、直前まで何を見ていたか、なぜ視線を外していたかを決めないまま回すと、動作だけが宙に浮きます。速さを書き込めば緊張が出ると考えたくなりますが、速さは比較の対象があってはじめて計れるもので、比較の対象になるのは回る前の姿勢しかない。摩耗を拒んだ前半部分が守り続けてきたのは、まさにその「手前」でした。

文: hakadoru.ai 編集部

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