温度計にも震度階にも目盛りがあります。程度を測る道具には刻みがあって、二つの測定値を比べることができる。この言い回しも一見そういう道具に見えますが、実際に持っている刻みは一本だけです。震えが出るか、出ないか。強度を連続した量として測っているように見えて、やっていることは一点で切る二値の判定に近い。震度のほうは十階級に分けられています。刻みの数を並べただけでも、この言い回しがどれほど粗い器具かは見当がつきます。
尺度には水準の違いがあるという整理があります。名義、順序、間隔、比例。順番だけが意味を持つ順序尺度と、差に意味がある間隔尺度、比にも意味がある比例尺度は別物で、扱える演算が違う。この構文が与えるのは、そのうち最も情報の少ない層です。閾値を一つ置いて、それを超えたかどうかだけを報告している。読者の側が「震えるほど」と「息を呑むほど」のあいだに暗黙の順序を作ってくれるので順序尺度らしく振る舞いますが、その順序は人によって違い、目盛りの間隔はどこにも定義されていません。
ここに落とし穴があります。間隔が定義されていない目盛りの上では、二つの値を足したり、大きさが等しいと言ったりできない。「震えるほどの喜び」と「震えるほどの恐怖」に同じラベルが付いていても、それは同じ大きさを意味しません。次元の違う二つの量に、たまたま同じ閾値の名前を貼っただけです。同じ語で受けたから同じ強度だ、という読み方は、書き手の側が誘発しているぶん、たちが悪い。順序尺度の上で使えるのは中央値までで、平均を取る操作は定義されません。二つの場面の強さを足し合わせて頂点を作る、という書き方も、同じ理由で成立しないことになります。
閾値が何を保証しているのかも、はっきりさせておいた方がよさそうです。この構文が示しているのは、震えを起こすのに十分な強さがあった、ということです。順序を持つ集合の中で下から押さえる線を一本引いたにすぎず、上がどこまでなのかは何も言っていない。だから同じラベルの下に、閾値をわずかに超えただけの場合と、はるかに超えた場合が同居します。読者は下限しか受け取っていないのに、書き手は最大値を書いたつもりでいる——この食い違いが、強調が効かない場面の正体であることが多い。
測定の側にも同じ形の問題があり、そちらには名前が付いています。目盛りの上限を超えた値がすべて同じ最大値として記録されてしまう現象を、天井効果と呼びます。上限まで振り切れた観測は、それ以上の差を持っていても区別できない。統計では、こうした値を打ち切られたデータとして扱い、真の値が線の向こうにあることだけを知っている状態として処理します。この構文が読者へ渡しているのも、まさに打ち切られたデータです。閾値を超えたという事実は伝わり、超えた幅は捨てられている。それでいて書き手の側は、超えた分まで届けたつもりでいる。器具が振り切れているとき、必要なのは強く読むことではなく、器具を替えることでした。
さらに厄介なのは、この構文が原因の強さと身体反応の大きさのあいだに単調な対応を仮定していることです。強いほど震える、という前提がなければ、震えを目盛りとして使う意味がない。ところが実際の生理はそこまで素直ではないようで、極度の状況では反応がむしろ止まることが知られています。単調でない関数の上で閾値ラベルを使うと、最も強い場面で最も弱い表現が出てしまう。物語の最大値に、いちばん頼りない物差しを当てることになる。単調でない対応には、もう一つ帰結があります。逆向きに読み戻せないことです。同じ大きさの震えから原因の強さを推定しようとしても、当てはまる答えが二つ出てくる。ごく強い場面と、そこを通り越した場面とが、同じ記述に収まってしまうからです。読者は無意識にこの読み戻しを試みるので、どちらなのかは前後の場面のほうで決めておく必要があります。
したがって、この形で頂点を書こうとすると天井にぶつかります。上に伸ばせない目盛りなのだから、伸ばすのではなく軸を替える。前の場面より震えが長い、止まらない、止めようとして止まらない——量の比較をやめて、持続と制御可能性という別の次元へ移す。持続には上限がなく、制御可能性には向きがあります。どちらも、一本の線では潰れない情報です。目盛りが一本しかないのは弱点ですが、その一本を基準点として二度目に使えるなら、比較の土台としては十分に働きます。