手を握りしめる

【てをにぎりしめる】動詞句

使い分けの視点

拳を作るは形、拳を握るは力の集中、握りこむは掌へ何かを包む動きまで示します。主語を省くと誰の手か曖昧になるため、緊張の持ち主を隠す必要がない場面では身体の所有者を明記します。

同義語

同品詞の類義語

拳を作る
拳を握る
握りこむ

類義句

同品詞の慣用的言い換え

指を絡める文芸的
拳に力を込める
両手を組む

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

鋼のような文芸的
祈りのように文芸的
蔓を巻きつけるような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

ぎゅっとcolloquial
強く
祈るように文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

決意

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

指を強く結ぶ
両手を強く合わせる
歯を食いしばる

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

自分の拳エッセイ関連

例文: 判決を聞くあいだ、傍聴席の少女は膝の上で自分の拳を固く握った。

誰の手なのかを、言わずに済ませる構文

訳文をもう一度もとの言語へ戻してみると、たいてい元の文には戻りません。戻らなかった箇所こそ、その言語が決めずに済ませていた情報の在り処です。この句を英語へ移し、それをまた日本語へ訳し直すと、返ってきた文には「自分の」か「相手の」かが書き込まれている。往復のあいだに情報が一つ増えている——増やしたのは訳者で、原文にその指定はありませんでした。誤訳ではありません。英語の側の文法が、その欄を空のままにしておくことを許さなかっただけです。往復翻訳は精度を測る道具としては雑ですが、どちらの言語が何を義務づけているかを見るには、これ以上ないほど手早い方法になります。

英語に置き換えようとすると、まず一度立ち止まる箇所があります。clench one's fists なのか、grip her hand なのか、squeeze his hand なのか。どれを選ぶかで、場面がまるきり別のものになる。自分の拳を固く握って耐えているのか、隣にいる相手の手を強く握っているのか。日本語の側では、その決定をまだしていません。決めないまま文が完成してしまう、という点にこの句の特徴があります。

英語の動詞は、たいてい目的語を要求します。誰の、どの手なのかを言わないと文が立たない。所有形容詞が義務的なので、his hand か her hand か my fists かを選ばざるを得ない。日本語は所有標示が任意で、しかも「手」という語が自分のものと相手のものを同じ形で受けます。文脈が決めるので、実際の読解で誤解が起きることはほとんどない。ただ、決まっていないまま一文が置ける、という状態が存在する。翻訳者はそこで、原文が保留していた情報を補って確定させることになります。

訳者が迫られる決定は、実はもう一つあります。日本語の「手」は、指先だけを指すこともあれば、手首から先、肘から先までを含むこともある。荷物を持つ手、手をまくる、手を組む——場面に応じて範囲が伸び縮みします。英語は hand と arm を別の語に切り分けるので、この伸縮をそのまま運ぶ手立てがない。つまり訳者は、誰の手かを決めるのと同時に、どこまでが手かも決めなければならない。所有者と範囲、性質の違う二つの空欄が、同じ一語の上に重なっているわけです。この句に限れば、動作が指と掌で完結するので hand を選んで大きく外すことはありません。ただし実際に力がかかっているのは前腕までで、日本語の書き手はそこまで含んだつもりで書いていることがある。

ここで疑いを差し挟んでおきます。決めていないことは、単なる曖昧さで、欠点ではないのか。確かに、実務文書であれば欠点です。しかし視点人物の内側から書くとき、この保留はむしろ自然に働きます。感情が高まっている当人は、自分の手に力が入っていることと、相手の手を握っていることを、別々の出来事として意識していない。どちらであるかを言い分けない書き方は、意識の粗さをそのまま写している。英語がそこで所有者の確定を強いるのは、言語の精密さであると同時に、意識の解像度を上げすぎることでもあります。

もうひとつ、日本語側の体系にも触れておきます。「しめる」を後ろに付けた複合動詞は、抱きしめる、噛みしめる、踏みしめる、と系列を作っていて、いずれも力が内側や下方へ集約する。方向を持った接尾成分が、複数の動詞にまたがって同じ働きをしている——これは英語には対応する仕組みがなく、hug tightly、bite down、tread firmly のように、その都度別の副詞や不変化詞で処理されます。だから逆方向、つまり英語から日本語へ訳すときには、この系列が便利な受け皿になる。訳しにくさは片側だけの現象ではありません。ある言語が空欄にしておける箇所と、別の言語が一語で畳める箇所は、たいてい別のところにあります。

そう考えると、この句の訳しにくさの所在は、感情の描き方ではなく構文にあることになります。感情そのものは、どの言語でも書けます。書き分けが要るのは、身体の所有者を明示しない構文をどう畳むか、という一点です。日本語で書くときにも、これは判断材料になります。誰の手なのかを一度も言わずに通せる場面と、言わないと像が結ばない場面がある。前者では保留の効果が働き、後者では単に読者が立ち止まる。訳すときに強いられる決定を、書くときに自分で引き受けておくと、この句は宙に浮かずに済みます。

文: hakadoru.ai 編集部

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