自分の原稿から「ように」で終わる比況の句を全部抜き出して、動詞ごとに並べてみる。単純な作業ですが、結果はたいてい似た形になります。上位のいくつか——縋る、祈る、責める、宥める——が全体のかなりの部分を占め、残りが細く長い裾を作る。語の頻度が順位に対して急速に減衰し、長い裾を引くという分布の形は、自然言語の語彙一般に見られる性質として知られています(ジップの法則)。比況表現の内訳もこの形から大きく外れることはないと考えられます。数えてみるまで、書き手の側は自分が同じ数語を回していることに気づきません。
分布の形が分かると、選択の問題が位置の問題に変わります。頭のいくつかは、読者にとって予測がほぼ完全に立つ領域です。予測できる語は処理が速く、速いということは読み飛ばされるということでもある。逆に裾の奥、ほとんど誰も使わない組み合わせを持ってくると、読者は立ち止まりますが、立ち止まったまま意味に追いつけないことがある。狙うべきは裾の入口、つまり見慣れてはいるが自動化されてはいない帯です。この帯の位置は作品のジャンルや読者層によって動くので、自分の書いているものに合わせて測り直すしかありません。時代小説の裾の入口と、学園ものの裾の入口は同じ場所にない。
連なりの単位で見る視点も役に立ちます。連続する語の並びをn個ずつ切り出して数える方法をn-gramと呼びますが、この句はかなり長い並びとして固着しており、読者の側でも一つの塊として記憶されている可能性が高い。固着した塊は分解されずに通過するので、内部の「懇願」という語が本来持っていた強さは、通過の速さに吸収されてしまいます。手垢という言い方をされる現象の正体は、意味の摩耗というより処理の高速化なのでしょう。塊を割るには、間に一語を差し込むだけでも効くことがあります。
共起の偏りも観察できます。感覚的には、この句の後ろに来る動詞は視線に関わるものが多い。見上げる、見つめる、目を向ける。発話ではなく視線を修飾する方向に寄っているということで、つまりこの句は、言葉を持たない懇願を担当している。だとすれば、あえて共起の弱い動詞と組み合わせたときに情報量が跳ね上がります。箸を置く、扉を閉める、車のキーを渡す。ただし跳ねすぎれば読者は接続を作れず、誤読か素通りに終わる。共起の強さは、驚きの量と理解の確からしさのあいだのつまみだと考えると扱いやすくなります。
数えるときに一点だけ注意がいります。「ように」という形は比況だけを表すわけではなく、「間に合うように急いだ」のような目的や、「忘れないように」のような願望の型とも同じ綴りを共有している。単純な文字列検索では、これらが混ざったまま集計されます。人手で選り分ける手間を惜しむと、分布の形そのものが歪む。裏を返せば、この曖昧さは文章の側にも効いていて、比況の句が並ぶ段落に目的の「ように」が挟まると、読者の読み下しが一瞬止まります。作業の順序としては、書き終えてから検索し、目的用法を落とし、残ったものを動詞で並べる。同じ動詞が三度出ていれば二つは振り替える。分布は、原稿がある程度たまってからでないと形を見せません。