巡り会う

【めぐりあう】動詞

使い分けの視点

「巡り会う」は単に会った一点でなく、そこまでの遠回りや探索を含む動詞です。「遭遇する」は偶発的な接触、「行き合わす」は道中の出会い、「邂逅する」は格調と運命性を帯びます。読者がすでに経路を知る場面で使えば積み上げを回収でき、冒頭では回想体など語り手が結末を知る根拠が必要です。

同義語

同品詞の類義語

邂逅する文芸的
行き合わす文芸的
遭遇する文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

縁が結ばれる文芸的
運命が引き寄せる文芸的
糸が繋がる文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

星が引き寄せられるような文芸的
二つの川が合流するような文芸的
遠い鐘が響き合うような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

奇しくも文芸的
不思議な縁でcolloquial
幾歳月を経て文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

邂逅文芸的
奇縁文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

縁を結ぶ文芸的
時を超える文芸的
道が交わる文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

積み上げの回収エッセイ関連

例文: 三度のすれ違いを読者に見せたあと、その邂逅は積み上げの回収として訪れた。

第一話では使えない動詞——読者の蓄積を担保にする語

初対面の二人が路上ですれ違い、目が合う。そこに「二人は巡り会った」と書かれていると、文章としては通っているのに、読んでいて軋みます。誤用ではありません。辞書的な意味からは外れていない。それでも据わりが悪いのはなぜかを考えていくと、この語が意味とは別の水準で仕事をしていることが見えてきます。物語のどこに置かれるかによって、成立したりしなかったりする動詞がある。

軋みの正体は、たぶん前提のほうにあります。巡るという動詞は周回や遠回りを含み、この複合動詞は「会うまでに長い経路があった」という履歴を、言わないまま要求します。しかも要求された前提は否定しても消えません。「ついに巡り会えなかった」と書いても、探索が存在したことのほうは残る。前提はそういう性質のもので、だからこそ危険です。読者が経路を一行も読んでいない段階でこの語を出すと、語り手が読者の知らない過去を勝手に主張したことになる。軋みは、その主張を裏づける材料が手元にないところから来ています。

では、いつなら成立するのか。ここで時間の問題ではないことに注意が要ります。作中で十年が経過していても、読者がその十年の捜索を読んでいなければ足りない。逆に、読者がすでに二百ページ分の遠回りを見てきたなら、作中時間が三日でも成立します。担保になるのは物語内の経過ではなく、読者の側に積み上がった記憶の量のほうだ。ただし例外があって、回想体や伝記体のように、語り手が最初から結末を知っている声で語る作品では、冒頭でも使えます。この場合の語り手は既に全経路を歩き終えていて、その位置から振り返っているからです。使用可能かどうかは、語り手が時間軸のどこに立っているかで決まる。

もう一つの厄介は、この語がすでに背負っている連想です。運命、赤い糸、必然。手垢は落としきれませんが、減らす手はいくつかあります。主語を人以外にする——一冊の本、ある地名、忘れていた匂い。あるいは否定形や仮定形でだけ使い、肯定の断定を避ける。もっと効くのは、語そのものを使わずに経路のほうを具体で書く方法でしょう。三度同じ駅で見送った、二度住所を書き損じた、そういう記述が三つ並べば、読者は自分でこの語に相当する結論を出します。読者が自分で出した結論は陳腐化しません。連載の形式ではこの手が特に効きます。回をまたいで置かれた三つの記述は、読者の記憶の中で勝手に距離を持ち、遠回りの実感が本文の分量以上に育つからです。

結局この語は、意味を伝えるためというより、時間の位置を指定するために置かれています。ここまでの積み上げを一括して回収します、という合図に近い。合図である以上、回収すべきものが実際に積んであるかどうかが唯一の条件になる。原稿を読み返すとき、この動詞に赤を入れるかどうかの判断は、語の前後ではなく、それより前の百ページを見て決めることになります。文章の良し悪しを一文の内側だけで判定できない例は他にもありますが、この語はその中でも極端です。同じ一行が、置かれる位置によって美点にも失点にもなる。校正の観点では扱いにくく、構成の観点ではむしろ便利な性質だと言えます。どこまで積んだかを測る目盛りとして、原稿の中に一つ置いておける。

文: hakadoru.ai 編集部

エディタで直接置換して執筆を加速

SaaS エディタではシソーラスの結果をワンクリックで本文に反映できます

無料で始める →