音もなく。跡形もなく。見る影もなく。一言もなく。並べてみると、この型の後ろに来るのは決まって「なし」の活用形で、他の述語が入る余地がほとんどありません。前に立つ名詞は自由に差し替えられるのに、後ろは固定されている。型としてかなり硬く、慣用の側に半分足を踏み入れた構文です。分解すれば、係助詞の「も」と、形容詞「無し」の連用形。それだけの組み合わせが、なぜこれほど強く一方向に固まったのか。
「も」の働きから考えてみます。この助詞には、程度の低いものを挙げて全体の否定に及ぼす用法が古くからあります。これさえ無い、だからそれ以上のものは言うまでもない、という含みです。だから「も」の前には、最低限のものが選ばれる。言葉の不在を言うのに「一言もなく」と言い、痕跡の不在を言うのに「跡形もなく」と言うのは、一言が言葉の最小単位であり、跡形が痕跡の最小単位だからです。同じ理屈でいくと、この表現が挙げているのは、意味を持つ言葉ではなく、その手前にある音そのものということになります。
ここで立ち止まります。それだけなら「も」を外して「声なく」でも用は足りるはずです。実際、文語調の文章ではそう書かれることもある。では「も」は何を足しているのか。おそらく、期待をいったん立てる働きです。最低限のものを名指しした瞬間、読み手の中に「それはあるだろう」という前提が生まれ、直後の否定がその前提を取り消す。立てて、消す。二拍の動きがあるぶん、単なる否定より否定が濃くなります。
この見立てには反例が出せそうです。物音を立てずに扉が開く場面を書くとき、そこに期待などあるだろうか。しかし考え直すと、扉は音を立てるものだという常識があり、だからこそ静かに開くことが特筆に値する。期待は読者の側の常識として、書かれないまま存在している。むしろ期待が全く存在しない対象を「も」で受けると、文が空を打ちます。呼吸をしていない人形について「声もなく」と書いても何も起きないのは、そのためです。
最低限として何を挙げるかには、実は段があります。一言もない、と書けば否定されるのは言語の水準です。この表現が否定するのは、言語の手前にある音の水準。さらに下げて息の水準まで行く言い方もあり、そこまで来ると生理の話になります。三つは同じ「発していない」を指しながら、どの階に立って見下ろしているかが違う。人物が黙っている場面で、どの階を選ぶかによって、読者が想像する切迫の度合いが変わります。言葉を選べない人と、音を出せない人と、息が止まっている人は、別の状態です。
だから実務としては、この表現を置く前に、声が出るはずの出来事を先に置いておくことになります。泣いている、笑っている、倒れる、駆け寄る——いずれも通常なら音を伴う行為です。行為の存在を前提にしたうえで音だけを取り去るから、抑制が読める。単に黙っている状態を指すのとは、そこが決定的に違います。無言はしゃべらないこと、この表現は何かをしながら音を出していないこと。前者は状態で、後者は差し引きです。差し引きである以上、引かれる前の値を書き忘れれば、残るのはゼロですらなく、空欄になります。