喧騒

【けんそう】名詞

使い分けの視点

「喧騒」は多数の声や物音を一塗りにし、視点人物が中身を聞き取れない状態を作ります。「雑踏」は人混み、「ざわめき」は抑えた声の揺れ、「賑わい」は活気と歓迎を含みます。音の海を詳しく数えるか、一語で捨てて一つの声だけを残すかで、人物の注意を示します。

同義語

同品詞の類義語

雑踏
騒擾文芸的
雑音
ざわめき

類義句

同品詞の慣用的言い換え

人波の轟き文芸的
絶えぬ声の渦文芸的
耳を塞ぎたい騒ぎ

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

蜂の巣のような文芸的
市場のような
渦巻く波のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

ざわつくcolloquial
騒ぎ立てる
耳をつんざく文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

賑わい
喧々囂々文芸的
どよめき
騒々しさ

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

聞き覚えのある笑い声エッセイ関連

例文: 聞き覚えのある笑い声が地下街の喧騒から浮かび、女店主は十年前に死んだはずの妹を追った。

音の海エッセイ関連

例文: 駅の音の海に沈みかけた少女は、白い杖が床を叩く一定のリズムについて改札を抜けた。

圧縮できないのに、何も残らない——雑踏を一語で捨てるということ

情報理論の教科書で最初に居心地が悪くなるのは、乱数列がもっとも情報量の多い列だ、と教わるところです。規則がないから短く言い換えられない。ある文字列を出力する最短のプログラムの長さで複雑さを測る、という考え方(コルモゴロフ複雑性と呼ばれます)に従えば、雑踏の録音は音楽よりずっと圧縮しにくい。数百人の声が重なった波形に、繰り返しはほとんどない。にもかかわらず、その場に立っている人間にとって、そこには何も書かれていません。情報量は最大に近いのに、受け取れる意味はゼロに近い。この落差を、しばらく妙な話だと思いながら眺めていました。

手がかりは、受け手の側にありました。人は騒がしい場所でも、自分の名前が呼ばれると気づく。会話の相手の声だけを追いかけることもできる。カクテルパーティ効果と呼ばれるこの現象が示しているのは、選別が音の側ではなく耳の側で起きているということです。信号と雑音の境界は波形に書き込まれていない。誰が聞くかで引き直される。同じ音圧の下で、ある人には隣席の会話がはっきり届き、別の人には一語も届かない。装置を替えたのではなく、聞く目的が違うだけです。

同じ構図は、文字を扱う技術にもあります。全文検索では、「の」「する」のように出現頻度が高すぎる語を索引から落とすことがある。どの文書にも出てくる語は、文書を区別する役に立たないからです。高頻度は無価値と同義ではありませんが、弁別には使えない。雑踏のなかの人声も、それと同じ扱いを受けている——多すぎるがゆえに、どれも指し示さない。

符号の設計に目を移すと、話はもう一段ねじれます。よく出てくる記号に短い符号を、めったに出ない記号に長い符号を割り当てると、全体が縮む。ハフマン符号と呼ばれる古典的な方法で、圧縮の基礎にある発想です。語彙もゆるく同じ経済で回っていて、頻繁に呼び出される対象ほど短い名前を持ちます。ここで注意がいるのは、短さが対応しているのが語の使用頻度なのか、対象の出現頻度なのか、という区別です。この漢語二字は、日常会話でそう頻繁に口に出るものではない。短く潰されているのは、語のほうではなく、潰される側の情景のほうでした。雑踏は毎日ある。毎日あるものに短い符号を与えておく、というだけの取り決めです。

ここで引っかかったのは、書き手のふるまいのほうです。原稿に「喧騒」と二字を置くとき、その二字は数百人ぶんの発話をまとめて処理している。要約ではありません。要約なら中身の一部が残るはずですが、ここには何も残らない。破棄です。しかも読者は、破棄されたことに気づかないまま次の行へ進む。ただ、破棄という言い方が正確かどうかは、まだ迷っています。計算機には、どんな長さの入力も固定長の短い値へ潰す関数があります。潰した値から元の入力は復元できない。そして、別々の入力が同じ値に落ちることを衝突と呼びます。この二字がしているのは、たぶんそれに近い。交差点の人波も、宴席のざわめきも、体育館に反響する声も、みな同じ二字へ落ちる。読者が受け取るのは、どれか一つに復元できない値だけです。破棄という語がまだ手加減しているのは、破棄なら「何かを捨てた」という事実は残るのに、衝突した先ではそれすら残らないからでしょう。

音声の非可逆圧縮が同じことをしています。mp3 のような方式は、人間の聴覚が大きな音の近くにある小さな音を知覚できないという性質を利用して、聞こえない成分を計算で特定し、捨ててしまう。捨てたぶんデータは小さくなり、聞き手は欠落に気づかない。うまく捨てるとは、聞き手の限界に合わせて捨てることでした。そう考えると、書き方の方針は自然に決まります。雑踏を細かく描写すればするほど、視点人物の注意が散っていることの証明になる。逆に、二字で潰した音の海のなかに、ひとつだけ聞こえる音を置く。硬貨が落ちる音でも、聞き覚えのある笑い声でもいい。閾値を越えた成分だけが残る、という耳の性質をそのまま文章の構造として使うわけです。

もっとも、この考え方には限界もあります。捨てるべき成分を決めているのは、常に視点人物であって、その場の音響ではない。同じ交差点が、待ち合わせに来た人物には賑わいとして、逃げている人物には壁として書かれる。何を捨てたかを見れば、誰が聞いていたかが分かる。一語で潰す作業は、実は視点の設定作業そのものでした。

文: hakadoru.ai 編集部

エディタで直接置換して執筆を加速

SaaS エディタではシソーラスの結果をワンクリックで本文に反映できます

無料で始める →