切なさ

【せつなさ】名詞

使い分けの視点

感情の持ち主や対象を曖昧なまま置ける名詞ですが、場面まで曖昧にしないことが重要です。「哀愁」は景色や時代へ、「胸の詰まる思い」は人物の身体へ寄ります。帰刻、言い残し、窓外の光など輪郭あるものを添えます。

同義語

同品詞の類義語

哀愁文芸的
悲哀文芸的
感傷
侘しさ文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

胸の詰まる思い
やるせない心持ち文芸的
胸を締めつける情感文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

夕暮れの鐘のような文芸的
枯れ葉が舞うような文芸的
指からこぼれる砂のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

胸がきしむ文芸的
心が疼く
胸の奥がうずく

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

もの言わぬ愁い文芸的
胸の底のさざ波文芸的
静かな痛み

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

帰りの時刻だけが迫るエッセイ関連

例文: 伝えたいことを言えないまま帰りの時刻だけが迫るなか、少女は切符を強く握った。

対象を持たない感情——英語が三つに割るもの

bittersweet という英単語は、苦味と甘味という味覚の語をそのまま接いだ複合語です。味の対立を並べれば感情が説明できる、という発想が語形に露出している。これは英語の側から見ると当たり前の作りかたで、感情語彙の多くが原因か身体感覚のどちらかに根を持っています。poignant はラテン語の pungere、刺すという動詞から来ていて、pungent(つんとくる)と同族です。melancholy はギリシャ語の黒い胆汁。heartache は器官と痛みの直結。名指す対象が違えば、感情も別の語になる。

日本語のこの名詞を英訳しようとすると、この分割の細かさがそのまま障害になります。sadness では単純に悲しいだけになり、melancholy では気質の話に寄り、wistfulness では回想の色が強すぎ、longing では欠けているものが明示されてしまう。訳語がないのではなく、多すぎるほうが問題なのです。どれを選んでも、原文にはなかった焦点が一つ足される。翻訳者が困るのは空白ではなく、選択肢の側にある。

他言語にも、まとめて訳しにくいとされる感情語はあります。ポルトガル語の saudade、ドイツ語の Sehnsucht、ウェールズ語の hiraeth。よく「訳せない語」の例として並べられる三つですが、比べてみると共通点がはっきりします。いずれも、そこにないものへ向かう感情である点が核になっている。saudade は不在の人や土地への慕情、Sehnsucht は sehnen(憧れる)と Sucht(渇望、耽溺)の複合、hiraeth は帰れない故郷へ向かう。つまり対象が要る。ところが日本語のこの語は、対象を要求しません。何が失われたのかを言わないまま「切なさだけが残った」と書ける。対象の欄が空でも文が壊れない——ここが訳しにくさの本当の所在です。

語形も効いています。形容詞の語幹に「さ」を付けて名詞を作る型は、性質や程度を対象化する働きを持ちます。高さ、重さ、深さ。測れるものの目盛りを取り出す形式です。その型を感情に適用すると、感情そのものではなく、感情の度合いや、それを帯びた状態のほうが名詞になる。だから「彼の手紙の切なさ」という言い方が自然に立ちます。手紙が感情を持つわけではなく、手紙に帰属した属性として扱えてしまう。英語で the sadness of his letter と書けば、悲しんでいるのは書き手か読み手のどちらかに決めなければならない。日本語のこの形式は、感情の持ち主を決めないまま量だけを差し出せるのです。

輪郭のない語は、書き手にとって便利であると同時に危険です。何を入れても収まってしまうので、書いた側は書けた気になり、読んだ側はそれぞれ別のものを取り出す。通じたように見えて、実際には各自が自分の在庫を見ているだけ、ということが起こる。訳者が実務でやっているのは、この語を訳すことではなく、この語が置かれた場面のほうを訳すことです。窓の外の明るさ、相手が言いかけてやめた半分、帰りの電車の時刻——輪郭を持つものを一つ足せば、対象の欄が埋まり、訳語の選択が決まる。書くときも順序は同じで、名詞を置くのが先ではありません。置いた名詞が何を指しているのか、書き手自身が答えられる状態を作るのが先です。

文: hakadoru.ai 編集部

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