活版印刷の工場には、活字を収めた棚が壁一面に並んでいました。使用頻度の高い字は手の届く高さに、めったに出てこない字は上の段や隅の引き出しに置かれる。棚に無い字が原稿に現れれば、その都度、母型から鋳るか、彫るか、似た字で代用するしかありません。外字と呼ばれるこの手間は、締切のある仕事では確実に嫌われます。書き手が選んだ一字が、印刷所の棚の配置によって差し戻される。制度が公的な線を引くよりずっと前から、物理的な在庫のほうが別の線を引いていたわけです。どの字が使いやすいかという問題は、最初から思想の問題ではありませんでした。棚に置かれた活字の総数がその工場で組める語彙の上限になる、という身も蓋もない事情が先にある。
昭和二十一年に当用漢字表が告示され、公用文や新聞で使う漢字の範囲に区切りが引かれました。昭和五十六年にはそれを引き継ぐ形で常用漢字表が定められ、平成二十二年に改定されています。この一連の制度が意図したのは表記の平明化であって、語そのものを減らすことではなかった。表に載らない字を使ってはならないと定めたわけでもなく、あくまで公的な文書と報道の目安として示された。ところが実際には、表に入らなかった漢字を含む語は、印刷物に出る回数が目に見えて減っていきました。
減り方には段階があります。まず新聞や教科書が使わなくなる。次に、書き手が「読者が読めないかもしれない」と考えて避けはじめる。避けられた語は目に触れなくなり、目に触れないから読めなくなり、読めないからさらに避けられる。制度が語を禁じたわけではないのに、循環が語を外へ押し出していく——表記の制約が語彙の制約へ変わる経路です。交ぜ書きやルビは、この循環を緩めるために編み出された折衷でした。どちらも見た目に難があるため、多くの書き手は結局その語を使わない側へ倒れる。
この二字の内部には、そのとき引かれた線がそのまま走っています。どちらも静けさや人けのなさを表す字で、意味の近い字を重ねて一語にするという、漢語によくある作りです。ところが常用漢字表に採られたのは前の一字だけで、後ろの一字は表の外に残りました。制度は語ではなく字を単位に線を引いたので、同じ働きをする二字が別々の側へ振り分けられてしまった。前の字には「さびしい」という訓があり、単独でも日常語として立てます。後ろの字に、その逃げ道はない。報道の分野では、表外字を含む語をより平明な語に置き換える方針が長く採られてきました。置き換えれば意味は伝わります。ただ、二字が重なることで出ていた音の厚みは、そこで落ちます。字を単位に整理した制度と、語を単位に使う書き手のあいだには、こうした半端な切れ目がいくつも残りました。
この語はもともと漢籍に由来する古い言葉で、日本では漢文の教養を持つ層が読み書きの中で使ってきました。明治から大正にかけて、社説・演説・文語詩といった場面では漢語の密度が高く、そうした語彙を読めること自体が教育を受けた証しでもあった。教養の内容が変われば、語の居場所も変わります。漢文が中等教育の中心から退いた後、この種の語は「古い」というより「遠い」ものになった。意味が分からないのではなく、どういう人がどういう場面で使う言葉なのかが分からなくなる。古語なら注釈で補えますが、遠い語に必要なのは注釈ではなく文脈です。
現代の書き手にとって、これは不便であると同時に資源でもあります。表外字を含む漢語は、読者の日常の言語圏の外側にある。外側にあるということは、その語を置いた一文だけ、文章の温度と距離が変わるということです。時代物や、語り手が明らかに教養層である作品では自然に馴染む。現代の口語的な地の文に一語だけ落とせば、そこに段差ができる。段差を作りたいのか、なだらかにしたいのか——判断は語の側ではなく作品の側にあります。歴史が作った距離を、そのまま語り手と読者の距離として使える。
ウェブで読まれる文章では、もう一つ実際的な条件が加わります。画面上で読み仮名を補う手段は紙より限られ、読者は分からない語で止まると、辞書を引くより先に画面を閉じることがある。だから使うなら、前後の文で意味が推定できる配置にしておく。周囲の情景描写がその語の内容を先に見せていれば、読者は正確に読めなくても意味は取れます。制度が変えたのは語の見た目までで、意味を渡す責任は書き手の側に残ったままです。