かな漢字変換に「せいれん」と打ち込むと、多くの環境が続けて「潔白」を候補に押し出してきます。予測変換の中身は、大量の文章から集めた語の並びの統計です。直前の語から次の語を確率で当てにいく仕組みなので、候補の強さはそのまま、その語の後ろに来る語の偏りを映している。この語の場合、後続がほとんど一つに決まっている——変換の挙動は、その事実を機械的に可視化しているだけです。
めったに使われない語が消えずに残るとき、その語はたいてい何らかの容器に守られています。四字の慣用句、決まった役職名、儀礼の文句。単独で自由に使われて生き延びたのではなく、組で保存されたという経緯を持つ。ここで扱っている語も、四字熟語の前半として残った側です。容器ごと覚えられた語は、容器の外へ出る機会がないぶん、使われ方の幅も広がりません。めったに現れないことと、後続がほぼ決まっていることは、一方が他方の原因だというより、同じ保存の仕方から出た二つの症状に見えます。
情報の言葉で言い直すと、直後に来る語の確率分布のばらつきが小さい、ということになります。ばらつきの小ささはエントロピーという量で測られ、値が小さいほど次が予測しやすい。隣接する和語の形容詞、たとえば清いの直後には、水も心も関係も来ます。分布は広く、エントロピーは高い。同じ意味領域にありながら、片方は次が読めず、片方はほぼ読める。類義語の一覧を眺めているだけでは見えないこの差は、実際の文章の並びを数えてはじめて出てきます。
領域の偏りもあります。経験的には、この語が出てくるのは公職や政治、あるいは人物の評伝で、日常の会話にはまず現れません。新聞の見出しに近い層の語彙です。低頻度で、後続が固定していて、領域が限られている。三つの偏りが重なると、語は硬直します。硬直した語を文章に置くと、読者は語を読まずに塊として通過する。目が滑る、という感覚の正体は、予測が当たりすぎることによる情報量の低下だと考えられます。
共起は、語と語のあいだだけで起きるわけではありません。硬い漢語は硬い構文を呼びます。この語を主語や補語に据えると、述語のほうも「求められる」「欠く」「疑われる」といった、書き言葉寄りの形へ引き寄せられていく。受身と使役が増え、動作主が文面から消え、文はいつのまにか報告書の調子になる。語の統計を見ているつもりで、実は文体の統計を見ていたことになります。一語の選択が段落全体の構文分布を動かすのは、この連鎖があるからで、浮いた一語を直すには語だけを取り替えても足りないことが多い。
対処は、偏りのどれかを外すことです。四字の後半を別の語に差し替える、名詞化して主語の位置に据える、政治以外の対象に付けてみる。ただし外し方が奇抜だと、今度は語だけが浮きます。低頻度の語を使うときは、その段落の他の語の頻度帯を合わせるのが確実で、硬い漢語を一語置くなら周囲は日常語に落とす、という調整が効きます。読者の予測を裏切るのは一箇所でよく、二箇所以上を同時に裏切ると、文は読みにくさのほうへ倒れる。統計に逆らう作業には、逆らう地点をひとつに絞るという原則があります。