何にしろ

【なににしろ】接続詞

使い分けの視点

議論を畳む接続語は、未解決の論点を消すのか保留するのかが違います。「何にしろ」は選択肢を残したまま行動へ移る橋なので、誰が言うかで決断力、疲労、投げやりを描き分け、後で論点を回収します。

同義語

同品詞の類義語

ともあれ文芸的
どっちにしろcolloquial
ともかく
とにかく

類義句

同品詞の慣用的言い換え

どう転んでもcolloquial
結果はどうあれ
いかにあっても文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

つまるところ
畢竟文芸的
ぶっちゃけcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

論点を棚上げするエッセイ関連

例文: 論点を棚上げする決断をした隊長は、犯人探しより先に負傷者を運ばせた。

議論を棚上げする技術——結論を出さずに場面を進める

予定の時刻を三十分すぎた打ち合わせで、結論の出ない話が三巡目に入ることがあります。誰も譲らず、新しい材料も出てこない。そこで年長の一人が机に手を置き、まあ何にしろ、と言って腰を上げる。決着したわけではないのに、その場は動きます。全員が納得したからではなく、決めないという扱いを誰かが宣言したからです。しかも宣言できるのは、たいてい、その場でいちばん結論から遠い立場の人です。当事者の口からは、決めないという選択はなかなか出てきません。日常の会話に埋もれているこの操作は、そのまま物語の場面設計に持ち込めます。

会話シーンが長引いた原稿を前にした書き手の悩みも、たいてい同じ形をしています。登場人物たちの議論が割れたまま、決着はつきません。しかし物語は先へ進めなければなりません。このとき作者の手元にある道具の一つが、いま挙げたこの接続の一語です。誰かにこれを言わせた瞬間、議論は打ち切られ、場面は行動へ移る許可を得ます。

機能を分解してみます。この語は、直前までに並んだ複数の可能性——犯人はAかBか、計画は成功するか失敗するか——を、どれとも決めないまま棚上げする宣言です。重要なのは、否定でも採択でもない点にあります。「どの選択肢が正しいにしても」という保留を明示した上で、「今やるべきことは変わらない」へ橋を架けます。読者に対しては「この論点は未解決のまま残ります」という正直な予告になり、伏線を開いたまま維持する効果もあります。議論を雑にまとめる語ではなく、まとめないことを引き受ける語です。ただし、引き受けたものには返済の義務が生じます。棚上げされた論点を読者は意外なほど正確に覚えていて、物語が最後までそれに触れなければ、放置として記憶されます。この語を使った箇所を執筆メモに控えておき、回収したか物語の外へ逃したかを脱稿時に照合する——それくらいの管理をする価値のある、負債性の高い一語です。

誰に言わせるかで、同じ一語の意味は大きく変わります。会議の停滞を断ち切る仕切り役に言わせれば決断力に見え、疲れ果てた人物に言わせれば投げやりに見え、時間に追われる人物に言わせれば切迫が伝わります。地の文でも同じで、視点人物の思考の中にこの語が挟まれば、それは「考えることを途中でやめる癖」の描写になります。悩み抜く主人公が終盤で初めてこれを使うなら、それが成長か諦めかは、文脈が染め分けてくれます。

打ち切ったあとに何を置くかでも、効き目は大きく変わります。後続に長い説明文を続けると、棚上げの宣言そのものが議論の続きに呑まれ、切れ味が消える。効くのは、短い行動の指示か、動作の描写です。火を落とせ、と続けるか、そう言って伝票をつかむ、と続けるか。前の議論が何段落あろうと、後続が十数字で終われば、長さの差そのものが打ち切りを実演してくれます。ジャンルによる相性もあります。謎の解明を進める物語では、論点を保存したまま場面を移せるので働きどころが多い。逆に、議論そのものが主題である作品では、この一語は作者が思考を放棄した合図に見えかねません。どの論点なら棚上げしてよいかは、その作品が何を問うているかで決まります。主題の外側にある論点なら、いくら吊るしておいても構わない。主題そのものを吊るした瞬間に、読者は、作品が自分の立てた問いを引き受ける気がないことに気づきます。後続を短く保つのが難しいのも、書き手が自分で開いた保留を、つい説明で埋めたくなるからでしょう。

便利な語の常として、陳腐化の危険があります。議論を打ち切れる語は、書き手自身の「この場面を畳みたい」という都合とよく共鳴するからです。対策は機械的でよく、脱稿後に原稿全体を検索して数えることに尽きます。特定の人物に集中していれば口癖という設計になりますが、複数の人物が均等に使っていれば、それは人物の癖ではなく作者の癖です。経験的には、長編で視点人物以外に三人以上がこの語で議論を畳んでいたら、いくつかは削るか、沈黙や割り込み、外からの物音といった別の手段に置き換えたほうがよいでしょう。

似た働きの「ともかく」「とにかく」との差も、選択の手がかりになります。「とにかく」が論点そのものを視界から外して前進だけを促すのに対し、この語は「何であるにしろ」という形の中に、選択肢の存在をうっすら残す。つまり、打ち切りながらも論点への敬意を払う言い方です。登場人物が議論を尊重する人間なのか、議論を邪魔と見なす人間なのか。接続詞一つの選択に、その差は確かに現れます。

文: hakadoru.ai 編集部

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