もちろん

【もちろん】接続詞

使い分けの視点

「むろん」「無論」は書斎や文書の硬さ、「当然」は話者が自明と判断する強さを持ちます。「そりゃ」「そりゃまあ」は親しい口語で、「そりゃそうと」は話題転換です。「言うに及ばず」「言わずもがな」「言うまでもなく」は明示不要と格付けし、「確かに」は相手の主張を認めて続きへ渡します。

同義語

同品詞の類義語

むろん
無論文芸的
当然
そりゃcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

言うに及ばず文芸的
言わずもがな文芸的
そりゃそうとcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

言うまでもなく
確かに
そりゃまあcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

承諾の一語を人物の指紋にするエッセイ関連

例文: 老学者には硬い応答、少年には砕けた応答を与え、承諾の一語を人物の指紋にした。

承諾の聞き分け——「むろん」と答える人物の顔

「引き受けてくれますね」という問いに、「むろん」と答える人物と、「もちろんだよ」と答える人物を並べてみます。承諾という命題内容はまったく同じです。それなのに、読者の頭に浮かぶ顔は別人になる。前者は和服の老学者か、時代がかった紳士。後者は屈託のない若者。年齢も、時代も、体温さえ違って見えます。語の意味ではなく、語がまとう社会的な出自——誰が、どんな場面で使ってきたか——だけが二つを分けている。この分け目は、言語学で位相差と呼ばれるものの、教科書のような実例です。

漢字で書けば「勿論」。「論ずる勿れ」、つまり議論の余地がない、という漢文の言い回しが一語に固まったものです。ほぼ同じ意味の漢語に「無論」があり、「むろん」はこちらの読みにあたります。どちらも出自は書物と教養の層にあり、明治の文章語では肩を並べていました。その後の百年余りで、一方は日常会話の隅々にまで降りてきて、もう一方は書斎に残った。同じ層から出発した二つの語形が、現代では別々の話者類型に配属されているわけです。語の履歴そのものが、話し手を描くための記号として再利用されている。

この隔たりは、語形のふるまいにも現れます。「もちろん」は後ろに助詞や助動詞を自由に従えて、「もちろんだよ」「もちろんです」「もちろんさ」と、相手との距離に応じて語尾を着替えられる。「むろん」にはそれがしにくく、耳で確かめれば「むろんだよ」はどこか座りが悪い。この語は読点を従えて単独で言い切るか、「むろん、そうだ」と後続の文へ直結する形に偏ります。着替えのきかない語は、それを使う人物のほうも一着しか持っていないように見える。硬さの印象は語義から来るのではなく、語尾を選べないという文法的な狭さから来ているのかもしれません。

肯定の応答は、丁寧さと硬さの階段に沿って並んでもいます。くだけた「そりゃそうだ」から標準的な承諾、書き言葉寄りの「無論」、文書の「言うまでもなく」まで。どの段を選ぶかは、相手との距離の測り方の表明です。目上に「そりゃもう」と返す人物は距離の詰め方が早く、友人相手に「無論だ」と返す人物はどこか芝居がかっている。この階段には地域の軸も交差します。関西の会話の「そらそうや」は、組み立てとしては「そりゃそうだ」と同じでも、音の運びだけで話者の出自を一瞬で示す。会話文の大半を共通語で書き、応答の一語にだけ土地の音を残す省エネの技法が古くから使われてきたのは、この即効性ゆえです。

会話文の実務では、この階段を人物ごとの指紋として使う手があります。ある人物は常に「もちろん」、別の人物は「当然」、三人目は「そりゃあ」としか言わない。そう決めておくだけで、話者名を示さない応酬でも声が聞き分けられるようになり、長編になるほどこの小さな一貫性は効いてきます。注意すべきは類型の濃度で、濃すぎれば人物は人形に落ち、薄すぎれば区別が消える。指紋は一箇所で採れれば十分で、指先の全部に押させる必要はありません。承諾ほど情報量の少ない応答はなく、だからこそ、どう承諾するかという選択に、人物の育ちと来歴のすべてがにじみます。

文: hakadoru.ai 編集部

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