ぼそぼそと

【ぼそぼそと】副詞

使い分けの視点

「小声で」「押し殺した声で」は音量を、「口ごもって」「歯切れ悪く」「言葉を濁して」は言い切れない態度を描きます。「ぼそりと」は一回の短い発話、「もごもごと」は口内で不明瞭な音が続く様子です。「枯葉が擦れるような」など比喩は声質を強く印象づけるため、聞き手がどこまで内容を拾えたかと揃えます。

同義語

同品詞の類義語

小声でcolloquial
ぼそりとcolloquial
口ごもって
もごもごとcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

歯切れ悪く
声を呑むように文芸的
言葉を濁して

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

枯葉が擦れるような文芸的
炭火のはぜるような文芸的
湿った砂を踏むような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

呟く
口の中で繰り返す
口ごもる

体言的言い換え

用言を体言に変換

呟き
口ごもり

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

聞き取れぬほど
押し殺した声で文芸的
唇を動かすだけで文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

聞き手の受け取り損ないを書くエッセイ関連

例文: 作家は台詞を全文示さず語尾だけ残し、聞き手の受け取り損ないを書くことで、二人の物理的な距離を表した。

乾いた飯と、聞き取れない声

炊きたてを逃した飯は、箸で持ち上げると崩れます。粘りが抜け、粒が粒のまま口の中に散る。この手触りを指す語と、低く不明瞭な発話を指す語が、同じ語形であることに気づいたのはずいぶん後のことでした。食感と声。並べてみると、うまく繋がりません。乾いた米に音はなく、聞き取れない声に粒はない。それでも一つの語形が両方を引き受けていて、しかもどちらも古びていない。片方が比喩でもう片方が原義だ、と言い切れるほどの手がかりも見当たらないのです。

擬態語の来歴は追いにくい。書き言葉に残りにくく、辞書に採録される時期も遅れがちで、文献上の初出をもって古さを測ることができません。だから意味の変化を「拡大」や「縮小」という通時変化の標準的な枠に当てはめようとすると、この語は収まりが悪くなります。米を指す用法が薄れて声の用法に置き換わったわけではない。両方が現役で並んでいる。移動ではなく、増設に近いのです。語の歴史というと A から B へ移る絵を描きがちですが、実際には B が増えただけで A が退かない例のほうが多いのかもしれません。

引っかかりを残したまま、共通の図式を探してみます。乾いた飯は一体になれない。聞き取れない声も、語としての輪郭を結ばない。どちらも、連続体になりそこねた粒の列です。米粒は物理的に離れており、声は音としては繋がっているのに切れ目が聞き分けられない。方向は逆ですが、結果として届くものは似ている——まとまりを欠いた、粒立ちのある連続。この図式が先にあって、そこへ食感と発話の両方が入居したのだと考えると、どちらが先かという問いはあまり重要でなくなります。

形態論の側からも一つ気になる点があります。日本語の擬態語には、単発形と反復形の対立があります。ぼそりと言う、ぼそぼそと言う。反復形は普通、回数や個数の複数を表すはずです。ところが反復形にしても、話者が二人に増えるわけではない。一人の人間が続けて喋っている状態を指します。反復が、数ではなく持続へ読み替えられている。これ自体は珍しい現象ではありません。きらりと光るとの対比でのきらきらも、光源が増えるのではなく光り続けます。ただこの語の場合、持続していること自体が聞き取れなさの原因になっている点が違う。切れ目が現れないから、聞き手は語の境目を立てられないのです。

そう考えると、これは話し手の声質を書く語ではなく、聞き手の受け取り損ないを書く語だということになります。誰かがぼそぼそと言った、と地の文に書いた瞬間、視点人物はその発話を正確には聞き取っていない。にもかかわらず直後に台詞を全文そのまま置いてしまうと、書いた側で矛盾が起きます。省略するか、語尾だけ拾うか、「そう聞こえた」と留保をつけるか。処理の仕方を選んだ時点で、視点人物がどれだけ相手に近づいているかが決まってしまう。声の描写のふりをして、距離の描写になっている語なのです。

文: hakadoru.ai 編集部

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