宇宙船の船内時計が地球の正午を示している。夜勤明けの乗員が同僚に出会い、日本語版では「こんにちは」と声をかける——この翻訳には、意外に多くの判断が潜んでいます。窓の外に昼夜はなく、二人にとっては勤務の終わりでも、時計だけは昼です。挨拶は辞書の一対一対応では決まらない。時刻、初対面か再会か、相手との距離、会話の媒体をまとめて選ぶ発話だからです。単語を別の単語へ移すより、その場で挨拶が果たしている仕事を移す必要があります。意味論上の近さと、場面での自然さは別の尺度です。一方を最大にすると、もう一方が下がることさえあります。
英語の hello は時刻を問わず使えますが、good afternoon は昼過ぎという時間帯を前景化します。フランス語の bonjour も字面は「よい日」に関係していても、実際の使用範囲は英語の語とぴたり重なりません。日本語側も、朝の「おはよう」から昼の挨拶へ切り替わる境界が時計だけで厳密に決まるわけではない。職場では夕方でも、その日初めて会った相手へ「おはようございます」と言う慣行さえあります。季節によって日没時刻が変わっても、挨拶の選択が分単位で連動するわけではありません。したがって翻訳者が選ぶべきなのは、原文の時刻ラベルではなく、その共同体が出会いをどう区切るかです。
形の上では五拍、こ・ん・に・ち・はです。「ん」も一拍を占め、最後はワと発音しても「は」と書きます。音と綴りのこのずれは、どの訳語にも移せません。訳文が受け取れるのは挨拶の機能だけで、綴りが背負っている文法上の履歴は国境で止まります。とはいえ、この落差が物語で効く場合はあります。日本語を学び始めた人物が「こんにちわ」と記す場面なら、発音は知っているが綴りの決まりはまだ知らない、という小さな人物描写になるからです。訳者がそこへ注釈を付けるか、訳文側の別の綴り誤りに置き換えるか、黙って正すかは、人物をどれだけ残すかの判断になります。翻訳は語の現在の完成形だけでなく、その語を書く人物の習熟度まで見ます。
対面と文章でも訳は変わります。店員の定型的な声かけ、知らない人への控えめな会釈、久々の友人へ送るメッセージは、日本語なら同じ五拍で始められる。しかし英訳では hello、hi、good afternoon など、親疎と時間に応じて枝分かれしやすい。字幕なら表示時間が短く、吹替なら口の動きや台詞の長さも制約になるため、意味が近い候補の中から発音時間の合うものを選ぶこともある。逆方向の翻訳でも、メール冒頭の Hello を機械的に移すと、日本語では妙に会話的になることがあります。「お世話になっております」のように、接触を開始しながら関係を確認する別の定型句が自然な場面もある。等価なのは語形でなく、相手との回線を開くという機能です。
創作上の挨拶は、情報量が少ないからこそ差異を映します。返事が同じ語なら関係は平らに始まり、「どうも」と縮めれば温度がずれ、名を呼び返せば個人的な接触へ変わる。挨拶に返事がないことも、翻訳すべき出来事です。無視なのか、別文化では応答を要求しないのかで沈黙の意味が変わります。異世界や未来社会を訳す場合も、昼の概念があるか、見知らぬ者へ安全を示す儀礼があるかを先に決めると、借り物でない挨拶を設計できます。こんにちはを訳すとは、「昼の hello」を探すことではない。二者が同じ時間と場所を共有し始めた、その最初の合図を相手の言語で作り直すことです。