おまけに

【おまけに】接続詞

使い分けの視点

三つ目の不運の前に置くと、この接続詞は文章にわずかな笑いを帯びさせます。不運が軽くなるのではなく、自分の不運を半歩離れて眺める語り手の距離が生まれるのです。置き場所は三つ目の直前が最も効き、後続の文には助詞の「も」が呼応しやすい。語り手が肩をすくめているかどうかを、一語で伝えられます。

同義語

同品詞の類義語

そのうえ
あまつさえ文芸的
なおかつ文芸的
プラスcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

それに加えて
そればかりか
それもcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

あろうことか文芸的
加うるに文芸的
あまつさえ文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

御負けエッセイ関連

例文: 御負けに、と店主は飴を一つ包みに足した。負けが景品に変わるまでの経緯を、客は誰も聞かなかった。

肩をすくめるエッセイ関連

例文: 肩をすくめる癖の語り手だった。不運を三つ数えるたびに、彼は一つずつ軽くなるふりをした。

三つ目の不運の前に置く——荷を軽くする接続詞

「雨は上がらない、終電は行ってしまった——おまけに、傘は改札の内側に忘れてきた。」三つ目の不運の前にこの接続詞を置いた瞬間、文章はわずかに笑いを帯びます。不運が軽くなるのではなく、自分の不運を半歩離れて眺める語り手の距離が生まれるのです。「おまけ」は、商人が代金を負けたり景品を添えたりする「御負け」に由来するとされます。値切りの場で売り手が口にする「負けておきましょう」の「負け」が名詞になり、景品の意味に転じたという筋です。本体に添えられた余禄、という語感は今も残っていて、不幸の追加をわざわざ余禄と呼ぶ倒錯に、この語の芸があります。

累加の接続表現は品揃えが豊富で、それぞれ語り手の顔つきが違います。「そのうえ」は中立で事務的な顔をしています。「そればかりか」は身を乗り出して強調します。「あまつさえ」は文語の重みで事態を糾弾し、「あろうことか」には憤りと信じがたさが混ざります。「なおかつ」は条件を几帳面に積む論理の顔です。同じ出来事の列に何を挟むかで、語りの温度が決まります。「おまけに」を選んだ語り手は、少し肩をすくめています。接続詞は論理の継ぎ目であると同時に、語り手の表情筋でもあるのです。

置き場所には定石があります。二つ目の項目ではまだ早く、四つ目ではくどくなります。三つ目の直前が最も効きます。話芸の三段落ちと同じ呼吸で、二つで型を作り、三つ目で崩すからです。そして崩し方は二通りあります。最も軽い不運を三つ目に置けば笑いになり、最も重いものを置けば、軽い接続詞との落差が痛みを際立たせます。「電気は止められ、貯金は尽きた——おまけに、母は帰ってこなかった。」軽さの記号をあえて裏切ることで、最後の一項が深く刺さります。読者は接続詞が予告した軽さで油断してから、落とされます。

幸運の側でも試しておくと、この語の性格がもっとはっきりします。「晴れて、風もなく、おまけに人も少ない」。問題なく言えますし、景品を意味する原義に忠実なのは、むしろこちらの用法のはずです。それでも実作で目につくのは、圧倒的に不運の列挙のほうでしょう。理由は、余禄という枠組みの向きにあります。余禄とは、勘定に入れていなかった得のことです。その枠を損の側へ当てはめれば、勘定に入れていなかった損を、得であるかのように数えることになる。皮肉はここで自動的に生まれます。幸運を並べる場合は枠と中身がまっすぐ噛み合ってしまうので、皮肉の生じる隙間がありません。素朴な喜びとしては正しく、語り手の表情としては平板になります。不運の列挙にこの語が集まるのは、語感の問題である前に、枠と中身の向きが食い違うからです。

統語的な癖も押さえておくと便利です。この接続詞は文頭で読点を従え、一拍の間を作ります。その一拍が「まだ何かあるのか」という予期を生みます。また、後続の文には助詞の「も」が呼応しやすく、「おまけに雨も降ってきた」のように、追加の予告と追加の助詞が前後で手を結びます。この呼応を外して「おまけに雨が降ってきた」とすると、間違いではないものの、文がわずかに軋みます。接続詞は単独で働いているのではなく、文の中に相方を求めているわけです。

置き場所は、文の内側だけの問題ではありません。同じ語を台詞に入れるか地の文に入れるかで、届く先が変わります。台詞に入れれば、それは人物の口癖であり、愚痴の様式です。聞いている相手がいるぶん、肩をすくめる動作には宛先があります。地の文に置いたときの宛先は読者です。三人称の語りで使えば、語り手が視点人物の側へ一歩寄ったことになり、突き放した観察の調子はそこで緩みます。逆に、距離を保ったまま不運を並べたいなら、中立な累加表現に替えるほうが安全でしょう。一語の選択が、語り手と人物の距離を数センチ動かす。累加の接続詞が調整しているのは、出来事の順序だけではありません。

使いすぎの害も書いておきます。数ページに何度も現れると、肩をすくめる癖が読者に見抜かれ、諦観のポーズが安売りになります。推敲の段階で原稿内を検索し、数を数えてみる価値のある語です。そしてこの語は、視点人物の性格と切り離せません。自分の不幸をこの語で数える人物は、不幸を景品程度に扱おうとする強がりとして立ち上がります。それは欠点ではなく設計です。接続詞の選択には、その人物が世界の損得をどう帳簿につけているかが出ます。一語を選ぶことは、帳簿のつけ方ごと選ぶことでもあります。

文: hakadoru.ai 編集部

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