唇を震わせる

【くちびるをふるわせる】動詞句

使い分けの視点

この句は寒さの生理にも動揺にも使えるため、原因を周辺で限定します。わななくは恐怖や激昂、口ごもるは発話の迷い、嗚咽を堪えるは悲嘆の抑制へ寄ります。否定形でも危機の気配が残る点に注意します。

同義語

同品詞の類義語

わななく文芸的
口ごもる
戦慄く文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

声を詰まらす
嗚咽を堪える文芸的
口元を歪める文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

風に揺れる花弁のような文芸的
細波のように文芸的
凍えた小枝のような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

小刻みに
ぴくぴくとcolloquial
声もなく文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

戦慄文芸的
嗚咽文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

言葉を詰まらせる
声にならない声を漏らす文芸的
口を覆う

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

震わせまいとするエッセイ関連

例文: 少年は震わせまいとする口元を掌で覆い、それでも証言を続けた。

否定しても残るもの——前提と含みのあいだ

否定形にしてみると、この句の構造が少しだけ見えてきます。「彼は唇を震わせなかった」。読んでみて、彼が平静だったという意味には取れない。震えるほどの何かが起きていて、それでも震えなかった、と読める。否定したはずの動揺が、否定文の中に居残っている。肯定文で運ばれていたはずの情報の一部が、否定の作用域の外側に置かれているということです。何を否定したのかを確かめる作業は、その文が何を主張していたのかを分解する作業でもある。

論理学では、否定や疑問や条件節をくぐっても生き残る成分を前提と呼びます。「もし唇を震わせたら」「唇を震わせたのか」——どちらの形にしても、動揺の存在そのものは保たれる。主張された内容は反論の的にできますが、前提として滑り込んだ内容は反論しにくい。反論するには、文の外に出て「そもそも」と言い直さなければならないからです。この性質のおかげで、この種の描写は経済的に働く。人物の内面を一度も断定せずに、内面があることだけを既定事項として置ける。

ただ、前提と言い切ってよいのか、ここで引っかかります。寒空の下で凍えている場面なら、動揺の含みはそもそも立たない。つまり生き残っていたのは語そのものに書き込まれた前提ではなく、文脈が呼び出した含みで、条件が揃えばきれいに消える。取り消せる以上、厳密な意味での前提ではありません。取り消し可能な推論として扱うのが正確なところでしょう。この区別を飛ばしたまま「この語は内面を前提する」と言ってしまうと、寒さや高熱の場面で足をすくわれる。残ったのは、前提に近い強さで働くが前提ではない、という中途半端な位置づけです。

読者の側がしている推論の型も見ておきたい。動揺していれば口元が震えることがある、という一般化から出発して、震えたのだから動揺している、と結論する。論理学ではこれを後件肯定と呼び、妥当でない推論として扱います。震えを起こす原因は他にもあるからです。それでも読解が破綻しないのは、この推論が演繹ではなく、観察をいちばんうまく説明する仮説を選ぶ手続きだからでしょう。最良の説明への推論と呼ばれる型です——前提が真でも結論は保証されず、より良い説明が現れれば取り下げられる。数行あとで暖房が切れていたと書かれれば、読者は静かに仮説を差し替える。所作の描写が後から意味を変えられるのは、読み手の推論がもともと暫定的だからです。順序を入れ替えて、寒さを先に書いてから震えを書けば、仮説はもう立ち上がりません。同じ一行が、置かれる位置によって働きも働かなくもなる。

書かなかったことのほうが情報になる、という面もあります。言葉のやりとりには、その場に必要なだけの情報を出すという暗黙の規準が働いているとされます。それを前提に置くと、内面を述べずに口元だけを書いたという事実そのものが、読者への合図になる。言えるのに言わなかった、と受け取られるからです。断定を避けた選択が、断定よりも強い含みを作ることがある。ただしこの含みも取り消せます。次の行で地の文が人物の思考を明かせば、含みは消え、ただの順序の問題に変わる。前提と違って、含みは書き手の操作で作られ、書き手の操作で消せる。省略が技術と呼ばれるのは、この作りやすさと消しやすさのためでしょう。前提のほうは、いったん置かれると書き手にも扱いにくくなります。

形態のほうにも非対称があります。震える は自動詞で、震わせる はその使役形にあたる。形の上では、自分で自分の唇を震わせていることになる。しかし現象としては不随意で、意志の入る余地がない。統語が要求する意志性と、意味が拒む意志性が正面から衝突している。日本語では身体部位を目的語に取ると意志性の判定が緩むので、この衝突は表面化せずに済んでいる。そして緩んだぶんの隙間が、そのまま書き手の裁量になっている。同じ形でも、他人の身体を目的語にして「相手の肩を震わせた」と書けば、途端に意志的な他動詞として読まれます。隙間を支えていたのは、持ち主と主語が一致しているという条件のほうでした。

裁量の中身は、抑えようとして失敗している、という読みを許すかどうかです。完全な不随意なら、人物は何もしていないことになる。しかし使役形の残り香があるおかげで、抑制の努力とその失敗を同時に読み込める。「震わせまいとした」という形が効くのも、否定が意志の層にかかって、震え自体は残るからです。ここまで来ると、この句が選ばれる理由は震えの視覚的な描写にはないと分かる。意志にも生理にもきれいに属さない、その中間の位置を名指せる言い方が、日本語にそう多くないのです。

文: hakadoru.ai 編集部

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