稽古場で演出家が「もっと目を輝かせて」と言うと、役者は困ります。瞼も眉も動かせるのに、光量だけは随意筋の管轄外にあるからです。経験のある演出家はそこで指示を替えます。相手の顔を見る秒数を延ばす、台詞の前に半拍おく、椅子から腰を浮かせる。動かせるものだけを指定しておけば、輝きは観客の側が勝手に見てくれる。書く側は、この迂回を経ずに済む立場にいます。地の文でなら、その一句をただ置けばいい。置けてしまうことが、そのまま難しさになっています。
嬉しいと書かずに嬉しさを渡す方法として、身体の徴候を置く手があります。頬が緩む、声が上ずる、前のめりになる、目が輝く。あまりに当たり前の技法に見えますが、日本語の散文がこれを自在に扱えるようになったのは、それほど古いことではありません。技法の古さと、技法が使えるようになった時期は、しばしば一致しない。当たり前に見えるものほど、いつ手に入ったのかを確かめておく価値があります。
近代以前の物語や和歌でも、目や眼差しは繰り返し書かれてきました。ただし多くは、見られる側の美しさとして、あるいは通い合う気配の在処として描かれる。感情の指標として身体を細かく分節し、観察者の位置から地の文で記述していく書き方が広まったのは、言文一致の成立と写実的な描写法の受容を経てからだと整理されます。ここで順序に注意したい。内面が書けなかったから身体で代用した、という説明は魅力的ですが、おそらく逆に近い。内面を直接書ける文体が手に入ったあとで、あえて書かないという選択肢が生まれ、そこではじめて身体徴候が技術として値打ちを持った。
文体の側で何が起きたのかを、もう少し詰めておきます。近世の読本や人情本にも表情の描写はありますが、多くは型のそろった言い回しで、顔色が変わる、袖を濡らす、といった既成の札を貼る形が中心でした。近代の散文が受け取ったのは、対象を長く見つめ続けて、見えたものを順に書き取っていく型です。二葉亭四迷がツルゲーネフを訳した「あひゞき」の自然描写が、当時の書き手たちに与えた影響はよく語られます。風景の側で起きたこの変化は、人の顔の上でも同じように起きたと整理してよいでしょう。視線をひとところに留める文体が先にあり、身体の細部はその後から書けるようになった。順序を逆にすると、近代以前に同じ表現が育たなかった理由が説明できなくなります。既成の札を貼る書き方には、貼れる札の枚数という上限があります。観察して書き取る書き方には上限がありません。目の光の強さも、続いた時間も、向けられた相手も、既成の札の一覧には載っていません。載っていない細部を、書き手がそのつど組み立てられるようになったわけです。
流通している形が「目が輝く」ではなく「目を輝かせる」であることも、少し変わっています。輝きは意志で作れるものではない。にもかかわらず、他動詞的な形のほうが定着した。書き手が人物を能動の側に置きたがった痕跡ではないか、と私は考えています。外から降りかかった徴候ではなく、内側から押し出された表出として書く。少年少女を主人公とする物語でこの形が繰り返し選ばれてきたことと、無関係ではない気がします。ただし証拠は薄い。他の使役形——胸を躍らせる、声を弾ませる——にも同じ傾向があることを見ると、日本語の身体表現全体の癖である可能性のほうが高いかもしれません。
現在この句は、手垢のついた表現として敬遠されがちです。ここも一度疑っておきたい。避けるべきは句そのものではなく、句だけで済ませることのほうでしょう。徴候は、何に対する徴候であるかが特定されて初めて働きます。輝いた先にあるものが具体的であれば、句の古さはさほど問題にならない。逆に、対象がぼんやりしたまま置かれると、感情のラベルを貼り替えただけになる。摩耗しているのは語ではなく、語の使われ方の側です。同じことは他の身体徴候にも当てはまります。
書くときの選択肢は、おおむね三つに分かれます。そのまま使い、輝きの向かう先を鋭く限定する。徴候を別のものに置き換える——手の動き、話す速度、質問の数、飲みかけの茶を置く音。あるいは徴候そのものを書かず、それを見た別の人物の反応だけを書く。三つ目は近代の小説が繰り返し使ってきた迂回で、いまも有効です。輝きを描写せず、それを目にした者が言葉を失ったとだけ書く。読者は見えなかったものを自分で補い、補ったものは書かれたものより長く残ります。