声に出して拍を数えてみます。う・し・ろ・め・た・い。六拍あります。形容詞としてはかなり長い。やましいは四拍、つらいは三拍、わるいは三拍。日常的に使う形容詞の多くが三拍から四拍に収まることを考えると、六拍は口の中でそれなりの時間を占めます。言い終わるまでに間ができる語だ、というのが最初の印象でした。
母音だけを抜き出すと、ウ・イ・オ・エ・ア・イと移ります。同じ母音の反復で畳みかける語ではなく、口の開き方が拍ごとに変わる。その移動が六拍の長さをさらに感じさせます——ただし、そこへ罪悪感の意味を直接結びつけるのは推測に留めるべきです。
次に気づくのは、濁音がひとつもないことです。近い意味を持つ後ろ暗いには、ぐ、が入っている。並べると一字違いのように見えますが、音の手触りは違う。そして意味も違っていて、後ろ暗いは隠している事実があるという含みを持つのに対し、後ろめたいは具体的な非行がなくても成立します。濁音の有無と意味の差がきれいに対応しているように見える——ただし、ここは慎重に扱うべき場所です。対を一組か二組並べて音象徴を語るのは、いちばん陥りやすい罠でもある。日本語の濁音に重さや濁りの印象があるという議論は昔からありますが、この語の説明としては、対応が良すぎることのほうが疑わしい。
後ろ暗いとの対照も、音だけで因果を決めず、語義と用例の差を先に確認する必要があります。濁音は意味を作る部品ではありません。並べた時に受ける印象を、文章のリズムへ利用できるという範囲に留めます。
音の記述をもう少し細かくしておきます。六拍すべてが開音節で、促音も撥音も長音も含まれない。子音を並べると、摩擦音のシ、流音のロ、鼻音のメ、そして破裂音はタの一つだけです。強く弾ける音が語の後半に一度だけ来て、それ以外は空気が流れ続ける。だからこの語は大きな声で言い切りにくい。ずるい、は言い切れます。ひどい、も言い切れる。後ろめたい、と言い切ろうとすると、語のほうが先に伸びてしまう。態度の煮え切らなさと音の性質が合っている、と感じるのはこのあたりからでしょう。
活用すると長さはさらに変わります。後ろめたく、後ろめたければ、後ろめたさ。語幹の五拍が残るため、助詞や述語へ渡るまでに時間がかかります。短い罪状の断定より、判断を抱えたまま文を運ぶ形に向いています。
ここでもう一度立ち止まります。古語のうしろめたしは、罪の意識ではなく、不安だ、気がかりだ、といった意味で用いられたと説明されます。心配して見守る側の語だったものが、後ろ暗さの側へ寄ってきた。音は変わらず、意味だけが動いた。とすると、いま感じている柔らかさは語の来歴に由来するものではなく、現在の語感を後から音に投影しているだけかもしれません。音と意味の対応を語ろうとすると、必ずこの時間差にぶつかります。
同じ六拍でも、文頭に置けば主題として重く、文末へ送れば告白が遅れて現れます。「少し、後ろめたい」の読点は、語の前にためらいを足す。一方「後ろめたい。」と独立させれば、長さがあっても結論として閉じます。
それでも文章に持ち込める部分は残ります。長さです。連体形で六拍、後ろめたかった、なら八拍。短い一文の中に置くと、この語だけで行が埋まる。強い感情を短く叩きつけたい場面には、音の量が多すぎます。逆に、決めきれない時間を引き伸ばしたい場面では、この長さが働く。語を選ぶ作業は意味の選択であると同時に、その文に残された拍数との交渉でもある。数えてみると、選べる語はかなり絞られます。
会話では「いや」「でも」の後へ続けると、六拍が言い訳を探す時間を作る。地の文では短い動作を先に置き、形容を後へ回せば、意味が遅れて追いつく順序になります。