翻訳された小説を読んでいて、身体の描写でだけ手が止まることがあります。原文では首から背へ流れていたはずの張りが、日本語では一点に置き直されている。そういう箇所です。英語の his shoulders were tense や hunched shoulders は、肩甲骨のあたりの姿勢として読まれます。日本語の連体修飾はそこへ、硬化そのものを表す動詞を載せる。tense だけでは足りず、stiffen や lock の成分が混ざってくる。一語ずつ対応させれば冗長になり、まとめれば部位の情報が落ちます。翻訳でよく起きる圧縮の損失が、この短い句のなかで起きている。
原文が全身の緊張を述べていても、日本語側で肩に集約すると、読者の視線は一点に固定されます。固定は強みです。どこを見ればよいかが決まるので、場面の焦点が動かない。同時に、ほかの部位の情報は消えます。顎の力み、握りしめた手、浅い呼吸——原文が持っていた分布が、一点に潰れる。弱みを補うなら、呼吸や手指を別の文に分けて足すことになります。どこを一語で言い切り、どこを別の文へ回すか。呼吸や手指で情報を補う設計を先に決めておかないと、身体語の列挙だけが増えて、説明の山ができあがります。
どの部位に緊張を置くかは、言語や文化によって好みが分かれると言われます。腹や顎が不安の座になりやすい言語もあるという観察を耳にしますが、確かなことを言うには対照の資料が要る。日本語の創作で肩が選ばれる理由のほうは、もう少し具体的に説明がつきます。対話の場面で、相手の目が自然に止まる高さにあるからです。胸や腹の硬化は衣服の下に隠れ、輪郭としては読み取れない。肩は服の上からでも線として見えます。見える緊張として慣習化されるのは、外から観察できる部位に限られる。とすれば、部位の選択は生理の問題である前に、視線の設計の問題だったことになります。
訳しにくさは、時間の側にもあります。英語の tensed his shoulders は動作に寄り、肩をこわばらせるという出来事の進行を含む。日本語のこの連体修飾は、その進行を切り落として、いま硬化した結果だけを差し出します。映画で言えば、動きの途中ではなく止まった一枚を渡す形です。硬直した両肩、板のように硬い肩といった言い換えは硬度の比喩を表に出しますが、この句は状態変化の完了を先に示す。静止画には、次に来る緩和との対比を用意しやすいという利点があります。肩が下がる、息が吐かれる。場面の入り口で固めておけば、出口の解放が読める形になる。
所有関係の書き方も、両言語で非対称です。英語は身体部位に所有格を要求します。his shoulders と書かなければ、誰の肩なのか決まらない。日本語はそれを書かずに済ませられる。強張った肩、とだけ置けば、直前に立っている人物のものとして読まれます。所有格を省けるということは、その肩を見ている人の位置を明示しなくてよいということでもある。訳文で「彼の強張った肩」と所有格を残すと、観察者と対象の距離がわずかに開きます。一語の増減が視点の遠近に効いてしまう場所で、翻訳は最も判断を迫られる。
訳し戻してみると、選択の重さが分かります。この句を英語へ返すとき、shoulders を残せば部位は保たれますが、強張るの硬さは tense では出ない。stiff shoulders にすれば、今度は肩こりの語感が入り込みます。日本語の「肩こり」に一対一で対応する語が英語にないことは、しばしば指摘されてきました。同じ部位に、一方は不安の記号を、他方は慢性の不調を割り当てている。機械翻訳が身体語で不自然になりやすいのも、語の対応表では埋まらない層——どの部位を代表に立てるかという取り決め——を扱えないからでしょう。往復して同じ場所に戻らない語は、原文にも訳文にも属さない何かを担っています。
実務としては、他言語から借りた身体語をそのまま重ねないことです。shoulder tension を説明的に訳して肩・首・背中を全部書けば、日本語としては情報が過多になる。一点に絞り、残りは呼吸や手指へ回す。分担が決まれば、翻訳調の羅列から場面の観察に戻ります。観察に戻った句は、文化をまたぐ身体語彙のなかで、日本語が肩に賭けた選択として働きはじめる。緊張を書くとは、身体のどこを代表に立てるかを決めることでもあります。日本語はその席を肩に与えてきた。席が一つしかない以上、載せきれなかったものは別の文が引き受けるしかありません。書き手にできるのは、載せる情報と回す情報の境目を、場面ごとに引き直すことだけです。