よし

【よし】感動詞

使い分けの視点

「さて」「では」は話題や段階の切り替えで、前者は自分の思考、後者は場全体へ向きます。「それっ」「さあ」「いざ」は動作開始を促し、勢いと格式が違います。「やってやる」「腕が鳴る」は挑戦への意欲、「うむ」は納得ある決断、「決まりだ」は選択の確定を明言します。

同義語

同品詞の類義語

さて
それっcolloquial
さあ
では

類義句

同品詞の慣用的言い換え

やってやるcolloquial
腕が鳴る文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

うむ文芸的
決まりだcolloquial
いざ文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

点検を打ち切って場面を送るエッセイ関連

例文: 五百字の逡巡の末に置いた二拍が、点検を打ち切って場面を送る合図になった。

点検と号令のあいだ——意味の焦点が移るとき

駅のホームで、制服の駅員が白い手袋の指を進行方向へ差し、声に出して確認をとります。指差喚呼と呼ばれる安全動作で、日本の鉄道の現場で長く続けられてきた習慣です。その声の定型が「出発よし」「閉扉よし」。形容詞「良い」の文語終止形が、現代の職業現場でこれほど組織的に生きている場所は、ほかにあまり見当たりません。確認の声は、対象の状態が基準を満たすことの宣言——つまりこの語の最も古風で、最も純粋な評価の用法です。

ところが用法を並べていくと、意味の焦点が少しずつずれていくのが分かります。提出物を眺めて「それでよし」と言うとき、語はまだ対象の状態を述べています。「よし、引き受けた」になると、重心は対象の評価から、申し出を受け入れる態度の表明へ移ります。そして「よし、行くぞ」に至ると、対象の評価はもうどこにもありません。状況はむしろ最悪かもしれないのです。がれきの山の前に立つ救助隊員の一声は、現状が良いという判定ではなく、点検を打ち切っていまから行動へ移る、という宣言でしょう。しつけの現場で犬に掛ける一声も同じ系列で、あれは褒め言葉ではなく、静止から動作への切り替えだけを伝える純粋な移行の信号として働いています。

語形は一つのまま、どこに焦点が当たるかだけが場面ごとに入れ替わっている、と考えると筋が通ります。この語が抱え込んでいるのは「現状を点検し、先へ進んでよいと判定する」という一連の動きでしょう。評価の用法はそのうち判定の部分を、号令の用法は移行の部分を取り出しています。興味深いのは、号令の用法では真偽が問えなくなることです。評価なら間違いがあり得ます。基準に達していない書類に判を押せば誤りです。しかし決意の一声に誤りはあり得ません。言うことそのものが区切りを作るからで、記述が行為に変わるこの転換は、発話行為の研究で遂行的と呼ばれてきた性質に重なります。点検が済んでいなくても、点検を打ち切る権限だけは常に話者の手にあります。号令の一声が頼もしく響くのは、判定の責任を引き受ける構えがそのまま音になっているからでしょう。

文法の側から見ると、この語は形容詞の体系から切り離された化石形です。現代語の「よい」は活用しますが、感動詞に転じたこの形は活用しません。一語で文になり、修飾も受けつけません。「良し悪し」「良しとする」という言い回しに同じ文語終止形が残っていますが、そちらはあくまで文の部品であって、単独で発される一声だけが、評価の意味さえ手放して号令に転じました。形の古さと機能の若さが、一語のなかに同居しているわけです。

小説では、この語は場面の変速機として働きます。逡巡の段落の最後に「よし」と置けば、次の行から行動が始まることを読者は予期します。予期させた以上、裏切るなら意図的に裏切る必要がある——決意させておいて動けない人物を書くのは、この語の契約性を逆手に取った技術です。連発すれば締まりが失われるのは、区切りの宣言が乱発される会議と同じ理屈で、効くのは点検の重みが乗った一回だけでしょう。五百字の逡巡を、よ・しのわずか二拍で締めて場面を次へ送る力は、文語の時代から受け継がれた終止形が保ってきた、判定の重みから来ています。

文: hakadoru.ai 編集部

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