ひどく

【ひどく】副詞

使い分けの視点

程度を強める「甚だしく」「甚だ」は硬い報告や改まった語りに、「激しく」は動きの強度に向きます。「むごく」「見るも無残なほど」は損壊や非情さへの評価を帯び、「やたらに」「むやみに」は過剰さに加えて無秩序・無分別を示します。何が強いのか、語り手がそれを責めているかまで見て選びます。

同義語

同品詞の類義語

甚だしく文芸的
激しく
甚だ文芸的
むごく文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

目に余るほど文芸的
尋常でなく文芸的
言葉を失うほど文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

やたらにcolloquial
むやみに
見るも無残なほど文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

仮名なら程度にとどまるエッセイ関連

例文: 校閲者は、疲労の強さだけを伝える箇所では仮名なら程度にとどまると考え、原稿の表外訓を直した。

表記を選ぶことが意味を選んでしまうとき

一本の長編を通しで校正していると、同じ語が漢字と仮名で入り混じっているのに何度も出会います。この副詞はその常連です。冒頭三話は漢字、中盤は仮名、終盤でまた漢字に戻る。書いた本人に基準を尋ねても、たいていは覚えていない。統一しましょう、と言うのは簡単ですが、どちらに寄せるかを決める段になると毎回止まります。表記を選ぶだけの作業のはずが、そうではないからです。

制度の側から見ると、答えは一応あります。「酷」という字が常用漢字表に採られているのは音読みのほうで、訓は掲げられていません。つまり漢字で書く形は表外の訓にあたる。新聞や公用文が仮名書きに寄せているのはこの事情によります。ただし小説は公用文ではないので、この基準がそのまま従うべき規則になるわけではない。基準があることと、それに従うべきことは別です。

語の出自を辿ろうとすると、話はさらに揺れます。漢語の「非道」が変化したものだという説がありますが、複数の説があり、一つに断定できる状態ではないようです。もし出自が「非道」の側にあるのなら、「酷」という字は後から当てられたことになる。字が語源なのではなく、語のほうが先にあって、あとから意味の似た字を借りた——借りた字は、借りられた瞬間から意味を送り返してきます。これが厄介なところです。

実際、漢字で書くと残酷さの成分がわずかに顔を出します。人を責める文脈、扱いのむごさを言う文脈では、それが噛み合う。ところがこの語のいちばん使用頻度の高い用法は、程度が甚だしいことを述べるだけの中立な副詞用法です。疲れている、驚いた、遅れている——ここに残酷の字を当てると、意味の重心がずれる。仮名で書けば重心は動かない。表記の選択が、いつのまにか語義の選択にすり替わっている。似た現象は他の表外訓にも起きます。字を当てると、その字の熟語群が背後から意味を押し出してくる。仮名で書いた語には背後がなく、文脈だけが意味を決める。表記統一という作業が機械的に見えて実際には手間取るのは、統一が語義の平準化を伴うからです。

そこで自分の観察を疑ってみます。読者は本当にそんな差を感じ取っているのか。一文だけ見せられたら、たぶん差は出ないでしょう。ただし三百枚のあいだに二百回現れる語であれば、その積算は文体の温度として残るはずです。実務的な線としては、副詞で程度を言うときは仮名、形容詞で対象そのものの性質を責めるときは漢字、という分け方が扱いやすい。分けたなら、その方針を一行のメモとして原稿の脇に置いておく。三ヶ月後の自分は、確実に忘れています。もう一つ、語り手ごとに表記を変えるという手もあります。一人称の書き手が学のある人物なら漢字を使い、そうでないなら仮名に寄せる。表記は音に影響しないので、朗読すれば消える差です。消える差にわざわざ意味を持たせるのは奇妙に思えますが、黙読される小説では、消えない差のほうがむしろ少数派でしょう。

文: hakadoru.ai 編集部

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