とんだ

【とんだ】連体詞

使い分けの視点

「思いがけない」「予期せぬ」は評価を決めず意外性を示し、「意外な」は予想との差を穏やかに述べます。「とんでもない」は強い否定的評価、「降って湧いたような」は突然の出現です。「青天の霹靂のような」は衝撃、「まさかの」は口語的な驚きで、災難寄りの「とんだ」と極性が異なります。

同義語

同品詞の類義語

思いがけない
意外な
とんでもない
予期せぬ文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

降って湧いたような
予想だにしない文芸的
青天の霹靂のような文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

まさに思いがけない
他ならぬ予期せぬ文芸的
まさかのcolloquial

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

悪い評価を焼き付けるエッセイ関連

例文: 語り手は「災難」へ悪い評価を焼き付ける連体詞を添え、笑える失敗が深刻な転機へ変わったと示した。

活用しないエッセイ関連

例文: 古い完了形から生まれながら活用しない語を台詞へ置くと、船医の報告に軽い慨嘆の温度が加わった。

活用表から降りた語——述語になれない「た」の形

小さな実験から始めます。「とんだ災難に巻き込まれた」は自然な文です。では「その災難は、実にとんだ」。成立しません。「とばない災難」「とんで迷惑だ」への言い換えも利かない。動詞「飛ぶ」の過去の形と同じ顔をしているのに、述語に立てず、否定もできず、活用そのものをしない。この語はいつのまにか、動詞の活用表から降りてしまっています。

学校文法は、こうした語のために連体詞という棚を用意しています。この、あの、大きな、いわゆる、あらゆる。名詞の前に立つことしかできない品詞です。棚の中身を眺めると、多くが他の品詞の凍結標本であることに気づきます。「いわゆる」は「言う」に上代の助動詞「ゆ」が付いた連体形、「あらゆる」は「あり」に同じ「ゆ」が付いた形とされる。「とんだ」も、動詞「飛ぶ」の完了形の連体用法が固まったものと説明されます。事態が思いがけない方向へ「飛んだ」、という比喩がそのまま凍りついた、という筋です。

凍り方にも型があります。棚の中には「ふとした」「ちょっとした」「れっきとした」のように、サ変動詞の過去の形が連体専用に固まった一群があり、これらもやはり述語には立てず、否定形を持ちません。ただし成り立ちは同じではない。こちらは五段動詞の音便形——「飛びた」ではなく「飛んだ」となる、あの撥音便——が、そのまま棚に載っています。音便はもともと発音を滑らかにするための現象で、それ自体は文法的な地位を持ちません。にもかかわらず、音便を起こした側の形が辞書の見出しになった。同じ「飛ぶ」の系統でも、「とんでもない」が形容詞として活用の世界に踏みとどまったのとは対照的に、こちらは無活用の道を選びました。片方は活用し、片方は凍る。語彙の歴史にはこうした分岐がしばしばあって、連体詞の棚はその化石置き場でもあります。

凍結の代償として、この語は文法的な自由を失いました。時制を変えられない、程度の副詞で修飾できない(「とてもとんだ」は不可)、文の締めくくりに回れない。その代わりに得たものがあります。共起の偏りです。後ろに来る名詞を集めてみると、災難、迷惑、恥、勘違い、茶番——望ましくない事態へ強く傾く。「とんだ幸運」と書けば、皮肉としてしか読めません。評価が語そのものに焼き付いている。自由に活用していた頃の「飛ぶ」には持てなかった、専属の表情です。

後ろに立てる名詞の種類にも、はっきりした線があります。並べた例はどれも出来事か、出来事への評価の名前で、物の名前ではありません。机や空といった物の名を後ろに置いた形は、どう読もうとしても文になりません。人を指す名詞と組めるときも事情は同じで、「食わせ者」の前に置けるのは、その人物が引き起こした事柄のほうを評価しているからです。名詞の前に立つ品詞でありながら、実質として修飾しているのは出来事です。連体詞という棚の名前は、この語の働きを正確には写していません。そしてこの制限は、棚の仲間に共通するものでもありません。「ろくな道具がない」「ろくな家もない」というように、隣の連体詞は物の名前にも平気で掛かります。同じ棚に並んでいても、掛かれる相手の範囲は語ごとにばらばらです。

棚の仲間と見比べると、この立ち位置はさらに際立ちます。同じく評価を焼き付けた連体詞に「ろくな」がありますが、こちらは「ろくなものがない」と、後ろに否定を要求する。「たいした」も「たいしたことはない」と否定と組むのが基本で、肯定文に置けば一転して褒め言葉になる。対してこの語は、否定の助けを借りず、単独で悪い評価を完結させます。否定との共起という物差しを一本当てるだけで、似た者同士に見えた三語が別々の文法的性格を持つと分かる。品詞の棚は同じでも、極性はばらばらです。

実務的な効能をひとつ挙げます。この語には話し言葉の軽い慨嘆の色が染みついているため、地の文に一語置くだけで、語りの温度がわずかに上がります。「翌朝、とんだ知らせが届いた」。事実だけを運ぶ報告の文が、少しだけ人の声に寄る。読者が受け取るのは出来事の輪郭だけではなく、それを聞いた人物の顔のほうでもあります。しかも活用しないから、時制や丁寧さの調整で色が薄まる心配もない。敬体の地の文にそのまま落としても、この語だけは硬くならずに残ります。活用する語なら、丁寧さの段に合わせて姿を変えるところです。活用を捨てた語は、そのぶん表情を専門にしている——化石は化石なりに、まだ働きます。

文: hakadoru.ai 編集部

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