おやおや

【おやおや】感動詞

使い分けの視点

おやおやは、驚きの「おや」を二度重ねることで、発話者を当事者の席から観客の席へ移す語です。苦笑や呆れや余裕が混ざるので、修羅場のただ中にこれを置ける人物は、実力者か皮肉屋か、何も分かっていない誰かに限られます。仲間の選び方も同じ基準で、あらあらは柔らかい受け止め、やれやれは肩をすくめる諦め、これはこれはは意外な相手への挨拶に寄ります。誰を場面の高い所に立たせるかで選んでください。

同義語

同品詞の類義語

あらあらcolloquial
やれやれ
これはこれは文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

なんとまあ文芸的
おやまあ

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ふむふむcolloquial
ほうほう
なんと文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

おやエッセイ関連

例文: おや、と呟いて、彼女はすぐにペンを走らせた。

おやおやおやエッセイ関連

例文: おやおやおや、これは手強い。舞台袖の老俳優は、出番の直前にだけそう呟く癖があった。

圧縮は繰り返しを削る——二度言うことで増える意味

テキストファイルを圧縮すると小さくなるのは、中身に繰り返しがあるからです。広く使われる LZ 系のアルゴリズムは、「この文字列は少し前にも出た」という箇所を、前の出現位置への参照に置き換えて縮めます。情報理論の言い方をすれば、予測できる文字ほど運ぶ情報量が少なくなります。繰り返しは冗長であり、冗長は削っても復元できます。圧縮とは、データから繰り返しを追い出す作業にほかなりません。小説の原稿も例外ではなく、決まり文句の多い文章ほど、よく縮みます。

ところが自然言語の畳語は、この原理への綺麗な反例に見えます。「おや」は目に留めたときの素の驚きを表します。「おやおや」になると、驚きに評価が加わります——一歩引いた、苦笑や呆れや余裕を含む、落ち着いた観察者の声になるのです。「あらあら」「やれやれ」「これはこれは」も同じで、二度言うことで発話者は事態の当事者席から観客席へ移動します。文字列としては二倍の冗長、意味としては別物です。もっとも、これは情報理論の本当の反例ではありません。繰り返すという選択そのものが情報を運んでいるからで、削ってよいのは意味を運ばない繰り返しだけです。畳語とは、形式の反復に機能を割り当てた仕組み——冗長になるはずの操作を、態度の表明に転用した発明だと言えます。

計算機の世界には冪等という性質があります。同じ操作を二度適用しても、一度適用したときと結果が変わらない性質のことで、絶対値を取る、集合に要素を足す、設定ファイルを同じ内容で書き込む。こうした操作は何度繰り返しても最終状態が同じです。分散システムの設計でこの性質が重んじられるのは、通信の失敗で同じ要求が二度届いても、状態が壊れずに済むからです。感動詞を口にする操作は、これを持ちません。一度目と二度目で結果が違い、二度目に達した状態を一度目へ戻すこともできない。さらに三度目の「おやおやおや」まで適用すれば、芝居がかった過剰さが加わって、また別の状態へ移ります。反復に対して安定しない操作だからこそ、適用した回数そのものが情報として読めるのです。

編集距離という物差しを当てることもできます。二文字を挿入すれば二拍の形から四拍の形に届くので、文字列としての距離は挿入二回ぶんです。しかし意味の距離は挿入二文字ぶんではありません。素の驚きと、余裕を含んだ観察者の声とでは、発話者の立ち位置がまるで違うからです。文字列の空間で近い語が、意味の空間でも近いとは限りません。検索や校正支援の道具を使うとき、この二つの距離の混同は静かな誤りの源になります。

創作の実務に引き付ければ、畳語の感動詞は人物を場面の観客に回す装置です。当事者は「おや」と言い、傍観者は「おやおや」と言います。修羅場でこれを言える人物は、実力者か、皮肉屋か、それとも何も分かっていない人物か——いずれにせよ、その場の誰よりも高い所に立っています。同じ二文字をもう一度打つだけで、立ち位置が動く。圧縮アルゴリズムが削りたがる冗長のただ中に、小説はキャラクターを一人立たせているのです。

文: hakadoru.ai 編集部

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