おおお

【おおお】感動詞

使い分けの視点

母音を三つ重ねる表記は、叫びの強さより、声が続いている時間を写します。個人の叫びのほか、群衆のどよめきのように、分節を失って一枚の音になった声を表すのにも向きます。表記の歴史は媒体の経済と続いていて、紙の字数の制約の外で、この語は強度の目盛りを得ました。声の長さを字面で設計する語です。

同義語

同品詞の類義語

わあわあcolloquial
うわあcolloquial
ほうほう
ううむ文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

なんと文芸的
すごいぞcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

おおおーcolloquial
あっぱれ文芸的
ふおおcolloquial

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

喚声エッセイ関連

例文: 喚声は一つのかたまりになって谷間へ落ちた。誰の声でもないのに、全員の声だった。

絶叫エッセイ関連

例文: 絶叫の表記は使い古されて、真顔で書くのが年々難しくなっている、と彼は原稿の余白に書き付けた。

「あはれ」から千年——分節されない声の表記史

古典語の「あはれ」は、もともと感動の声に由来すると考えられています。思わず漏れる声が一語に固まり、やがて名詞化して、平安文学を語る美的理念の名にまでなった。声だったものが概念にまで出世したという事実は、裏から読めば、日本の書き言葉が出発点から「分節されない声をどう文字にするか」という課題を抱えていたことを示しています。叫びは言語の外側にあり、しかし文学は叫びの瞬間をこそ書きたがる。この緊張は千年前から変わっていません。

文語の時代、感動の声は「あな」「あら」といった定型に整えられて書かれました。漢文の世界から入った「嗚呼」の表記も、訓みを与えられて詠嘆の定型に加わります。生の声は様式に吸収されるのが原則で、和歌の詠嘆の助詞「かな」「けり」も、こみ上げるものを韻文の秩序の内側へ収める装置と見ることができます。母音の連なりをそのまま紙に置くという発想は、長いあいだ主流にはなりませんでした。書くことは整えること——整わない音には、書き言葉の市民権がなかったのです。

もうひとつ効いているのは、読み方の歴史です。文章が声に出して読まれることを前提にしていた時代、詠嘆の定型は朗誦の節回しの中で実際の声に変換されました。黙読が標準になると、事情が変わります。紙の上の文字が読者の内耳に音を立ち上げる装置になり、声の表記は「読む声」の設計図としての性格を強めていく。近代の言文一致が会話文を口語化したのはその一歩ですが、状況を大きく変えたのはむしろ二十世紀後半以降の媒体だと考えられます。漫画の描き文字は音の大きさを字の大きさと形で描き、ネット小説は紙の文字数の制約から解放されました。「おおお」と母音を三つ重ねる表記と、五つ六つと重ねる表記が、強度の段階として使い分けられるようになります。一文字ごとに紙面と活字の費用がかかる世界では割に合わなかった贅沢が、画面の上では標準装備になった。声の表記の歴史は、媒体の経済の歴史でもあります。

母音を重ねた形には、個人の絶叫のほかに、群衆のどよめきを写す用法があります。個々の声が分節を失って一つの音響のかたまりになる状態を、文字の反復で近似する。決闘を囲む見物人、球場の観客席、凱旋を迎える広場。声の主が「みんな」であるとき、この表記が選ばれやすいのは、子音を持たない声がもっとも匿名の声だからでしょう。誰の口の形も特定しない音は、誰のものでもあり得ます。群衆を書くとき、作家は個人の声を足し合わせているのではなく、分節の消えた一枚の音を置いているのです。

「あはれ」が理念へ昇格して原義の声を失ったように、声の表記は使われるほど摩耗します。ウェブ小説で多用された絶叫の表記は、すでにパロディの気配をまとい始めており、真顔で使うことが年々難しくなっている、というのが実感です。分節されない声を書く工夫には、いつの時代も賞味期限がついています。千年前の書き手が「あな」で処理したものを、現代の書き手は母音の反復で処理し、次の時代の書き手はまた別の方法を発明するはずです。同じ宿題に、各時代が持ち回りで答案を出していくのです。

文: hakadoru.ai 編集部

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