美貌

【びぼう】名詞

使い分けの視点

造作の列挙より、その顔が周囲に起こした作用で印象を作ります。「美形」「端正な顔立ち」は直接的な判定、「目を奪う」は見る側の反応、「甘やかな相貌」は人物の雰囲気まで含みます。強い判定は初出に絞り、その後は他者の態度へ預けると持続します。

同義語

同品詞の類義語

麗姿文芸的
美形
容色文芸的
佳人文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

端正な顔立ち
整いきった容姿

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

絵筆で描いたような文芸的
神が彫ったような文芸的
月の精のような文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

見惚れさせる
目を奪う

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

美しき容姿文芸的
眉目秀麗文芸的
甘やかな相貌文芸的

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

二度見エッセイ関連

例文: 受付係は旅人を二度見し、二度目には慌てて書類へ目を落とした。

描くほど薄くなる顔——判定語をどこに置くか

顔の造作を細かく書くほど、読者の頭の中の顔は薄くなります。二重の幅、鼻梁の通り方、唇の厚み、輪郭の削げ具合。列挙すればするほど正確になっているはずなのに、読者は組み立て作業に追われて、像を結ぶ前に次の文へ進んでしまう。手配書は特徴を漏れなく記述しますが、あれを読んで人の顔が浮かぶことはまずありません。似顔絵が一本の線で成立するのとは逆の原理です。描写の精度と喚起力は、ある地点から先で反比例します。

この二字の語は、その反比例の外にいます。造作について一切述べず、判定だけを渡すからです。読者は組み立てを免除され、自分の在庫から最も手近な顔を持ち出す。処理は速く、負荷はほとんどない。ただし、その顔は作者が意図したものとは限りません。しかも読者が在庫から持ち出す顔は、読者が生きている時代の顔です。時代物を書いていても、この二字だけを渡せば、当世の基準で埋められる。絵巻に描かれた顔と、いま整っているとされる顔が同じでないことは、少し古い図像を並べれば誰にでも見えます。基準が動くという事実そのものより厄介なのは、読者が自分の基準で埋めたことに気づかないまま先へ進む点でしょう。作中の人物は誰も驚いていないのに、読者のほうだけが納得している、という食い違いが残ります。判定語を使うというのは、像の生成を読者に外注する取引です。外注が得か損かは場面によって変わります。脇役なら十分に得で、主要人物の初対面なら、たいてい損をします。

有効なのは、対象ではなく作用を書くことです。会話が一拍途切れる。話しかけようとした人物が言葉を選び直す。店の者の応対が他の客と違う。人が二度見して、二度目は見ないふりをする。容姿というのは、それ自体としてではなく関係の中で効いてくる性質ですから、効いた結果のほうを記述すれば、原因は読者が逆算します。逆算された像は、渡された像より強く残る。この手順を踏むと、当の判定語を一度も書かずに済むことも珍しくありません。

判定語を置くと、もう一つ決まってしまうものがあります。誰がその判定を下したのか、です。三人称限定の視点で書いていれば、この二字は視点人物の目盛りとして読まれます。彼にとっては美貌だった、という情報になり、そこから視点人物の側の欲望や引け目が透ける。ところが視点が誰にも固定されていない地の文で同じ二字を出すと、判定の主は作者になる。作者が登場人物の顔に点をつけて回っている、という構図が立ち上がります。同じ二字が、視点の設計次第で人物描写にも作者の口出しにもなるわけです。書き手が制御できるのは語そのものではなく、その語を誰の目盛りとして置くかのほうでしょう。判定語を減らす作業と、視点を締める作業が、しばしば同じ一手で片づくのはそのためです。もう一段面倒なのは、判定を下した者が作中にいない場合で、地の文の判定は誰にも反論されないまま残り、以後の場面すべての前提として働き続けます。読者は一度受け取った点数を、自分では下げられません。

語そのものの性質も見ておきます。この語はやや硬く、文語的な重みを残しています。地の文が硬質な作品ではよく馴染み、口語の会話文に入れると浮きやすい。もうひとつ、この語は所有物のように扱われる構文を引き寄せます。武器にする、衰える、翳る、鼻にかける。持ち物として語られるということは、失われうるものとして語られるということでもあって、時間や交換のモチーフに接続しやすい。衰える、翳るといった動詞を引き受けられる名詞は、そう多くありません。才能や体力と同じ棚に置かれる語だということです。人物の造形上、この接続を使う気がないなら、あえてこの語を選ぶ理由は薄くなります。

長編での配分についても触れておきます。実際に読みにくくなるのは、顔の描写が足りないときより、繰り返されるときです。初出で一度だけ強く書き、以後は他人の反応に委ねる——この配分が最も安定します。同じ人物の顔を五話ごとに描写し直すと、読者はその情報を新しく受け取るのではなく、作者がその顔に執着していると読みます。判定語も同じで、二度目からは効力が落ち、三度目には値札のように見えてくる。

結局のところ、造作をいくつ書いたかは像の濃さと関係がありません。決めているのは配分です。どこに一度だけ強い一撃を置き、その後の百ページをどう他人の目に預けるか。顔は書かれた文字の量ではなく、その顔をめぐって何が起きたかの積算として、読者の中に形を持ちます。

文: hakadoru.ai 編集部

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