疑う

【うたがう】動詞

使い分けの視点

「訝しむ」「首を傾げる」は違和感の入口を、「懐疑する」は命題を検証する姿勢を、「嫌疑」は人を黒と見る方向を示します。この動詞は目的語によって推定の向きが変わるので、対象が人なのか、証言なのか、仮説なのかを明示すると場面が動きます。

同義語

同品詞の類義語

訝しむ文芸的
勘繰るcolloquial
懐疑する文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

首を傾げるcolloquial
眉に唾をつける文芸的
色眼鏡で見る

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

霧の中を覗くような文芸的
針の穴を通すような
刃物を研ぐような文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

半信半疑で
訝しげに文芸的
うさんくさくcolloquial

体言的言い換え

用言を体言に変換

懐疑文芸的
嫌疑
勘ぐりcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

訝る文芸的
胡散臭く思うcolloquial
まゆをひそめる

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語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

目的語が決める向きエッセイ関連

例文: 人ではなく証言を疑う文では、目的語が決める向きに従って捜査が真偽の検証へ進んだ。

引数で向きが変わる動詞

報道の定型に「殺人の疑いで逮捕」という言い方があります。ここでの疑いは、その人が殺人をしていない方向を指してはいません。していたかもしれない、という肯定方向の推定です。ところが同じ動詞で「彼の証言を疑う」と言えば、証言が正しくない方向を指す。片方は「あった」に寄り、もう片方は「なかった」に寄っている。目的語を替えるだけで推定の向きが逆転するのは、日本語の動詞としてもかなり変わったふるまいです。

整理すると、三つの型があります。人や組織を目的語に取るとき——彼を疑う、あの一家を疑う——は、その相手が黒だという方向。発言、証拠、記憶、感覚のように、内容の真偽を問える名詞を取るときは、その内容が偽だという方向へ振れます。自分の耳を疑う、が典型でしょう。そして引用節を取るとき、たとえば「彼が犯人ではないかと疑う」となると、節の内容が真だという方向に戻る。境目は、目的語が命題そのものを担っているか、それとも真偽を判定される対象として置かれているかにあるようです。

否定と組んだときの動きも、この分裂を裏書きします。「彼の誠実さを疑わない」は信頼の表明で、迷いがないという意味になる。一方「彼が犯人だとは疑わなかった」となると、そういう可能性を思いつきもしなかった、という別の話になります。同じ否定辞が、目的語の型に応じて信頼にも不明にも着地する。英語がこれを二語に分けているのは、こうした揺れを避けるためでもあるのでしょう。肯定方向が suspect、否定方向が doubt。訳し分けは日本語側の目的語を見るしかなく、見出し語どうしが一対一で対応しません。派生形になると、揺れはきれいに消えます。「疑わしい」は否定方向に固定され、「疑い深い」は人格の記述になる。向きが動くのは、この動詞が目的語を直接取るときだけです。

プログラミング言語には、同じ名前の関数を引数の型ごとに別々に定義しておく仕組みがあります。呼び出し側は名前だけを書き、どの実装が動くかは引数の型を見て決まる。この動詞のふるまいは、その解決規則によく似ています。名前は一つ、実装は三つ、型は文脈が供給する。厄介なのは、日本語では目的語がしばしば省略されることです。型情報が来なければ、どの実装を呼ぶべきかが決まらない。「彼は疑っていた」とだけ書かれた一文は、機械にとっても読者にとっても未解決のまま残ります。文章の意味を機械に取らせようとする作業で、この語が難物として扱われるのは、語義が曖昧だからではなく、解決に必要な情報が文の外にあるからです。

書く側にできるのは、目的語を選ぶことです。人を置けば黒白の話になり、証言や記憶を置けば真偽の話になり、節を置けば仮説の提示になる。三つはまったく別の展開を生みます。人を疑えば関係が壊れ、証言を疑えば検証の場面が始まり、仮説を疑えば——この用法では疑うことが立証へ向かうので——調査が動き出す。台詞に「疑っている」とだけ置いた場合、このどれが起きているのかは読者に渡りません。省略された目的語を地の文で一度だけ補っておけば、そのあとの場面は同じ型で走ります。不信の濃さを足すより、目的語を一つ決めるほうが、場面はよほど早く動く。

文: hakadoru.ai 編集部

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