慕う

【したう】動詞

使い分けの視点

「慕う」は相手の応答を必要とせず、故郷や亡き人にも向けられる一方向の思いです。敬意だけでなく、届かない対象の後を追う距離を含みます。関係を縮めたい場面より、追憶や片思いを確定させる場面で近い語との違いが際立ちます。

同義語

同品詞の類義語

恋う文芸的
好く
憧れる

類義句

同品詞の慣用的言い換え

心を寄せる
後を追う
想いを馳せる文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

子犬のようなcolloquial
影を追うような文芸的
ひまわりのような

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

一途に文芸的
ひたむきに
切々と文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

憧憬文芸的
恋情文芸的
想い

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

背中を追う
名を呼ぶ
瞼に浮かべる文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

追慕

例文: 墓前の白い花に、弟子たちの追慕が託された。

相手が知らなくても成立する動詞

「亡き師を慕う」は落ち着いて読めるのに、「亡き師を好く」と書くと、どこかで文がつっかえます。同じように敬意と親愛を含む語なのに、片方だけが死者を目的語に取れる。この差はどこから来るのか。相手がもうこの世にいないという条件は、意味のどの部分に効いているのか。

まず疑うべきは、対象の到達可能性です。好意を表す語の多くは、相手がそこにいる前提で働きます。関係が続いているか、少なくとも続きうる。ところがこの動詞は、対象が遠くても、過去にあっても、失われていても成立する。故郷を、亡き人を、会ったことのない先人を、いずれも目的語に取れます。むしろ手の届く相手に使うと、やや大げさか、古風に響く。距離が消えると語の座りが悪くなる——これは意味の中心に距離が組み込まれているということかもしれません。

どんな副詞と並ぶかを見ると、この見当は補強されます。深く慕う、ひそかに慕う、長く慕う。どれも自然に読める。ところが激しく慕う、急に慕う、といった言い方になると、途端に落ち着きが悪くなります。共起する副詞が、強度ではなく持続と秘匿の側に偏っている。感情語の多くは強さの目盛りを持っていて、その目盛りに沿って副詞を選べるのですが、この動詞はそもそも強さの軸を持たないように見えます。持っているのは、どれだけ長く、どれだけ人に知られずに、という別種の目盛りのほうです。開始と終了の時点を特定しにくいのも、同じ性質の裏側でしょう。

もうひとつ、上下の方向という説明もあります。弟子が師を、下級生が先輩を、家臣が主君を。この並びは自然ですが、逆にすると急に不自然になる。師が弟子を、上司が部下を、という向きでは使いにくい。ここから、この語は敬意の勾配を含んでいて、低いほうから高いほうへしか流れない、と整理したくなります。実際、辞書の語釈でも「敬い親しむ」という説明がよく置かれます。けれど、この説明は途中で破れます。子が母を慕うとき、そこにあるのは敬意でしょうか。犬が飼い主の後をついて回る場合にもこの語は使われますし、故郷を慕うのは故郷が偉いからではない。上下の勾配で説明できるのは用例の一部でしかない。むしろ子と母の例は、後を追うという物理的な動作にごく近いところにあります。多義の枝を並べ直すと、敬愛の枝より、後を追う枝のほうが古い層に見えてくる。追随という具体から、思慕という抽象へ広がったと考えると、故郷も亡き人も同じ形で収まります。

格の取り方を隣の語と比べると、この古い層の名残がはっきりします。憧れるはニ格を取り、都会に憧れる、遠い時代に憧れる、と言える。対象は到達点の位置に置かれ、人でなくてもかまいません。こちらはヲ格を取り、目的語の位置に対象を据えます。ヲ格は本来、動作が直接に及ぶ相手の枠です。追う、慕う、しのぶ——この並びに置いてみると、ヲ格であることの意味が見えてきます。心が向かう先ではなく、身体が追いかける相手として、対象は文の中に組み込まれている。ただし、実際には何も及んでいません。相手は気づかず、位置も変わらず、応答も返ってこない。及ぶはずの形式に入りながら、及んでいる実質がない——この空転が、この動詞の手触りを作っています。憧れるのニ格が最初から到達点を指すだけなのに対し、こちらは届く形式のまま届かない。文法の枠だけが先に約束を交わし、内容がそれを守れずにいる状態だと言ってもいい。

そう考えたときに残るのは、意味の焦点がどちら側にあるかという問題です。この動詞は、対象がどうであるかをほとんど述べません。述べているのは主体の姿勢だけです。相手がそれを知っている必要はなく、応じる必要もなく、生きている必要すらない。関係の語のように見えて、実は片側だけで完結する。「好かれる」「愛される」は自然に受身になりますが、この語の受身が座りにくいのも同じ理由でしょう。向きが一方向に固定されていて、返ってこない。

そのため、片思いや追憶を扱う場面では、この語は非常に効率がよく働きます。視点人物の内側だけで完結するので、相手の内面に一切踏み込まずに関係の温度を書ける。ただし効率がよいぶん、使うと相手が急に遠ざかる。近づいていく場面でこの語を選ぶと、心理は動いているのに距離が縮まらない文になります。関係を進める場面では別の語に持ち替え、この語は届かないことを確定させたい箇所に取っておく。それだけで、恋情を書く文章の輪郭はかなり変わります。

文: hakadoru.ai 編集部

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