うう

【うう】感動詞

使い分けの視点

ううは、口がわずかに開いたまま漏れる堪え声です。母音で終わって閉じる部品を持たないので、直後に地の文で身体の動きを継がせると自然に流れ、促音を足せばううっになって息が断ち切られます。仮名を増やしても痛みは深まらず、持続が伸びるだけです。強度を決めるのは前後の地の文の温度で、誰に与え誰から取り上げるかも描写のうちです。

同義語

同品詞の類義語

ううっ
ぐぐcolloquial
ああ文芸的
むう

類義句

同品詞の慣用的言い換え

嗚呼文芸的
ふぐぅcolloquial

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

ぐっ
んんcolloquial
おお文芸的

関連語を探す

語釈エッセイと合わせて読む表現

下の語釈エッセイの論点とつながる言い換え・関連表現です。

んーエッセイ関連

例文: んー、と彼女は口を閉じたまま返事をして、包帯を巻く手を止めなかった。

ううむエッセイ関連

例文: ううむ、と老人は碁石を握ったまま、次の一手を夜まで持ち越した。

口は開いている——呻きの表記が前提にしていること

口を閉じたまま声を出してみると、鼻へ抜ける音しか出てきません。唇を合わせた状態で作れるのは「んー」や「むー」の類で、母音は一つも出せない。母音というのは、声道のどこかが開いていることを条件にした音だからです。この地味な事実が、呻き声の表記には案外強い制約をかけます。台詞行に二拍の母音を置いた瞬間、その人物の口は開いている。歯を食いしばっている設定でも、歯列の隙間から声が抜ける程度には開いている。猿轡を噛まされた人物、手のひらで口を塞がれた人物、枕に顔を埋めて声を殺している人物——そこで漏れるのは鼻音であって、この表記にはなりません。書き分けを外すと、読者は理由を言葉にできないまま違和感だけを受け取ります。

末尾の処理も同じくらい効きます。この語は母音で終わり、閉じる部品を持ちません。促音を足せば「ううっ」で三拍になり、う、う、っ、と数えたその末尾で息の流れが断ち切られる。撥音を足せば「ううん」で同じく三拍ですが、こちらは否定の返事という別の語に化けてしまう。「ううむ」なら思案です。二拍のまま置くというのは、末尾に何も足さないという選択にほかならない。開いたまま終わる表記は続きを許すので、直後に地の文で身体の動きを継がせると素直に流れます。逆に章の末尾へ単独で置くと、余韻ではなく宙吊りになる。閉じたいなら促音を足す、閉じたくないなら足さない——判断はそれだけです。

反復について言えば、増えているものが何かを取り違えないほうがいい。仮名を足す操作は拍を足す操作であって、拍が増えれば持続時間が伸びます。ところが書き手はしばしば、これで痛みの強度を上げたつもりになる。強度を決めているのは前後の地の文の温度であって、反復の回数ではありません。四つ目、五つ目の母音は、読者にとってはただの長さです。原稿の早い段階で反復の上限を決めておくと、後半で表記が膨張していく事故を防げます。三点リーダーを付けるかどうかも同じで、基準を先に決めて最後まで通す。

配分の問題も残ります。この声は語彙的な意味をほとんど持たないので、置いた回数だけが情報になる。長く堪え続けた人物が初めて漏らす一声には場面の重心が生まれますが、同じ人物が毎章漏らしていれば、読者はそこを読み飛ばします。誰が漏らさないかも設計の一部で、最後まで声を出さない人物の沈黙は、漏れた声と同じだけの情報を運びます。喜劇の側でも同じことが起きる。満腹で動けない午後にもこの声は出ますが、深刻な場面と滑稽な場面のどちらに読まれるかを決めているのは、声そのものではなく直前の一文の温度です。

そして口が開いているという最初の事実は、視点の問題に戻ってきます。視点人物は自分の口の形を見られない。自分が漏らした声は、自分の耳に届いた音としてしか書けません。他人の呻きなら、開いた唇や食いしばった歯まで観察できる。声だけを書くか口元まで書くかは、好みではなく、観測者がどちら側にいるかで決まります。呻きの描写が上滑りしているとき、疑うべきは表記ではなく、その位置のほうです。

文: hakadoru.ai 編集部

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