時代劇の登場人物は「難儀なことだ」と言います。「困難なことだ」とは、まず言いません。同じ事態を担える二語のうち、片方だけが会話文から締め出されているという事情は、近代日本語の文章がたどった道筋の名残りだと考えられます。近世の口語に根を張った語彙と、明治以降の論説・翻訳・法令の現場で流通量を増やした二字漢語とが、それぞれ別の層に沈殿した。その断層が、いまも小説の地の文と会話文の境目に走っています。
明治期に翻訳語や新造漢語が大量に作られ、新聞や演説、公文書の文章を支えたことは広く知られています。既存の漢語もこの流れのなかで用途を組み替えられました。言文一致の運動が地の文を話し言葉へ近づけていったとき、漢語はまとめて捨てられたのではなく、二つに分かれた。日常の会話へ降りていった語と、公的・論理的な文脈に留まった語です。後者は、事情の説明や条件の提示といった、抽象度の高い言い回しの骨格として残りました。文語文の名残りをとどめる「困難なる事業」「困難を極める」といった型が、いまも堅い文章のなかでだけ生き延びているのは、その痕跡です。
居場所は戦後さらに固まったように見えます。行政文書や報告書のなかで「〜は困難である」は、不可能だと言い切らずに拒否を伝える定型として機能してきました。断定を避けたまま結論を届けられるので、責任の所在をぼかす道具にもなる。文学の側はこの官僚的な響きを、しばしば逆用します。人物にこの語を言わせた瞬間、その人物が公的な言語のなかで生きていること——組織の側の人間であること——が、造形の説明なしに読者へ伝わる。逆に、幼い語り手や市井の人物に使わせると、背伸びか引用として読まれます。語彙の層それ自体が、人物の輪郭を描いてしまうわけです。
ただし、会話から締め出されているという言い方は少し粗い。現に医師は「切除は困難です」と言い、技術者は同じ語で納期の見通しを述べます。退けられているのは会話一般ではなく、私的な会話のほうです。職業上の判断を口にする場面では、この二字はむしろ選ばれる。断定を避けたまま見込みを伝えなければならず、しかも話し手が専門の立場から発言しているとき、和語では軽すぎるのです。だから小説の中で人物がこの語を口にしたとき、読者が受け取っているのは教養の程度ではなく、その人物がいま職業上の役を演じているという情報になります。同じ人物が家に帰って「難儀だ」とこぼせば、役から降りたことになる。
作家ごとの傾きも、この断層に沿って現れます。論理を積み上げる地の文を選ぶ語り手はこの種の漢語を厭わず、身体の感覚から書き起こす語りは「つらい」「やりきれない」といった和語へ寄る。翻訳小説の文体を吸って育った書き手ほど前者に傾きやすいという印象もありますが、どちらが優れているという話ではありません。ただ、語彙の層を選ぶことが語り手の立ち位置を可視化してしまうという事実だけは残る。無自覚に混ぜると、翻訳調とも報告書調ともつかない中間の文体になります。
文の中での身の処し方も、和語とは異なります。「つらい」は形容詞で、名詞にするには「つらさ」と形を変えなければならない。こちらはそのままの形で名詞にも述語にも立てます。だから数えられる。幾多の——という枕を付けて並べることができ、最初のひとつ、二つめ、と序数を振ることもできる。伝記や回顧録の文体は、この可算性にずいぶん助けられてきました。乗り越えた数を数え上げる語りの型は、対象が粒に分かれていなければ成立しないからです。裏を返せば、この語を選んだ時点で、書き手は苦しみを一続きの状態としてではなく、区切られた出来事の列として扱う構えを取っている。数え上げられるということは、すでに終わったものとして棚に並べられるということでもあります。追悼の文や社史の結びに同じ型が繰り返し現れるのは、そのためでしょう。渦中の人物には、まだ数えられません。
実務としては、山を登る場面を思い浮かべるのが早いでしょう。「登攀は困難を極めた」と書けば記録文体になり、読者は出来事を外側から要約された形で受け取ります。「指をかける場所がなかった」と書けば、同じ事実が身体の内側から届く。どちらを選ぶかは、その章で語り手がどれだけ人物に寄っているかで決まります。漢語を一語置くだけで、カメラは数歩うしろへ下がる。下がってよい場面かどうかを、置くたびに確かめる価値はあります。